オトナの教養 週末の一冊

2017年9月29日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

 東日本大震災とそれに続く福島原発事故について、東京電力や政府の対応について目を奪われがちだ。そうした視点ではなく、震災から今日まで人々はどう生き、何を感じ、どう語るのか――。『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を上梓したBuzzFeed Japan記者、石戸諭氏に話を聞いた。

――東日本大震災に関連したさまざまな方々の語りが、本書の大部分を占めています。震災時は毎日新聞の記者、現在はBuzzFeedの記者ですが、いわゆるジャーナリストが描くような、たとえば「原発事故の核心に迫った」という作品とは違うなという感想です。一言で言うと、どんな本でしょうか?

石戸:全体としては「数字では語れないあの日の出来事」がコンセプトですね。どうしても「何人が亡くなった」「放射線量が基準値を超えた」といった数字が震災報道では中心になりやすい。そういったいわゆる「震災もの」と言われるジャーナリズムからは溢れ出てしまう、こぼれ落ちてしまうところに僕の関心はありました。渦中にいた人たちが、どんなことを経験し、どんなことを語るのかを知りたかった。そうして一人ひとりに接近して、話を聞いて、言語化しないと結局よくわからないと思ったんです。

 この本に登場する人たちは決して特別な人たちではなく、読者と地続きにいる人たちなんだろうと思います。

 被災者、被災地という言葉で括られると、深い溝があるように感じられますが、あの日、2011年3月11日に地震や津波が突然起き、原発事故まで発生したことで、それまで当たり前だと思っていたことが、突然当たり前ではなくなってしまった。そういった人生においてとんでもない出来事を、多くの人が大なり小なり経験したわけです。

 僕も当時毎日新聞の記者として3月20日に被災地に入りましたが、いろんな現場を目の当たりにすると、取材をしても何を書いて良いのかわからなくなってしまった。僕自身も、人生で忘れることのできない出来事ですし、いまだにあの体験はなんだったのかと思います。

 ここで誤解してほしくないのは、データ、すなわち数字で伝えていくことは大事ですし、全面的に同意します。こうした部分については、ありがたいことに科学者の方々のさまざまな研究の積み重ねがあります。僕が本で書いたような「数字で語れないこと」を書けるのは、数字で語れることが増えているからです。

 また、原発事故の原因や、東京電力と官邸の対立など、ジャーナリズムの仕事は当然重要です。でも、僕のなかでは震災に直面した人たちが何を思い、どう考えているか、そこへの興味のほうが強かったんです。

――そのためにいろんな人たちの取材を重ねるわけですね。

石戸:新聞記者のときは、記事になりやすいか、見出しになりやすいトピックがあるかという視点がどうしても入ってしまう。いまはそこから少し離れて、もっとその人のことを知りたいと思えるかどうか、というフィルターが強くなったように思います。

――私のように東京に住んでいる、あるいは東北以外の人たちにありがちなのは、被災者を一括りにして考えてしまったり、原発に賛成、反対など二項対立の図式で考えてしまう、ということです。石戸さんの方法は、それとは正反対ですね。

石戸:僕のアプローチは、安易な二項対立や、言葉によるカテゴライズをせずに、ミクロな事象に接近していき、その先にあるものを見つけるという方法です。僕としては、どちらか一方の視点だけですべてをわかったような気になるのは避けたかった。インターネットの世界も、二項対立的にあっちか、こっちかの構図で何かを語りたがる人たちがいます。しかし、それはあまりに単純な見方です。  

 一方、新聞やテレビなどの組織ジャーナリズムは、もっと上の視点から、鳥瞰図のように全体を見渡し、わかりやすい話を拾ってくるというアプローチです。この方法もとても大事ですが、どうしてもわかった気になりやすい。

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