赤坂英一の野球丸

2017年10月4日

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 中日の森野将彦(39歳)が9月24日、本拠地・ナゴヤドームでの広島戦を最後に引退した。このニュースを聞いて、全盛期はいいところで打っていたな、とかつての勝負強い打撃を思い出したファンも少なくないに違いない。それでは、守備でこれという名場面が思い浮かんだ人はどれだけいるだろうか。

(Siri Stafford/iStock)

 マスコミは森野について、判で押したように「中日一筋の21年間で投手と捕手以外はすべてこなした」と伝えた。実際、現役生活晩年は一塁が多かったが、最も活躍した落合博満監督時代は三塁と外野、若手のころには二塁や遊撃も守っている。だから、同時代に活躍した二遊間の〝アライバ〟コンビ・荒木雅博と井端弘和、遊撃と三塁を守った先輩・立浪和義とは異なり、ファンによって記憶に残っているポジションが違うのだ。

 特筆すべきは、森野が長年守備位置を転々としていただけでなく、1シーズンのうちにバッテリーを除く7つのポジションを守っていることである。例えば、11年目の2007年は一塁11試合、二塁33試合、三塁40試合、遊撃2試合、外野(左翼、中堅、右翼すべて)90試合。当時の落合監督にこれだけたらい回しにされながら、打撃では当時のチームで屈指の勝負強さを発揮。打率2割9分4厘、18本塁打、94打点と、それまでのプロ生活で過去最高の成績を残しているのがすごい。

 しかし、森野は決してユーティリティー・プレーヤーと呼ばれるような器用なタイプではなかった。拙著『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)のためにインタビューを申し込んだら、「毎年のように、あっちへ行け、こっちへ行けと言われるたび、またかと思いましたよ」と苦笑交じりにもらしている。

 そもそも1996年秋のドラフト2位で東海大相模高から中日入りしたとき、森野の希望は三塁だった。が、当時のレギュラーは主砲レオ・ゴメス。そのゴメスの退団後は〝ミスター・ドラゴンズ〟立浪が遊撃から三塁へ横滑りしてくる。そこで、当初は遊撃からスタートしたところ、こちらにも程なくして井端が定着。押し出されるように二塁へ回されると、井端がケガしたから遊撃に戻るよう指示される。井端が遊撃に復帰したので二塁かと思ったら、今度は一塁だと言われた。玉突き人事ならぬ玉突きコンバートである。

 一塁は二塁や遊撃よりも楽だと思われがちだが、「状況や打球の角度などで細かく動きが変わるし、ピッチャーやセカンドとの連係もある。結構、気を遣うことが多かった」と森野は言う。また、ファーストミットの感触は独特で、一塁を守った直後に二塁や遊撃に回るよう指示されてグラブを変えると何とも言えない違和感を感じ、これも悩みのタネになったそうだ。

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