チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年10月1日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 今般の尖閣問題と同時並行的に起こった(引き起こされた?)河北省石家荘市における日本人拘束事件は、中国という国の日常にどのように関わるべきか、改めて我々外界の人間に警鐘を鳴らすものである。

 まず基本的に言って、中国で活動する外国人に対しては、歴史的な経緯もあって如何に潜在的な警戒心が注がれているかを我々は再認識しなければならないだろう。

戦前期に中国国内を闊歩していた
日本人への警戒心

 日本が中国を圧倒していた戦前、日本人はしばしば特権的な地位を得て中国国内を闊歩した。たとえば、中国ビジネスのエキスパート(「支那通」)を養成するため上海に設立された東亜同文書院(のち東亜同文大学と改称。今日の愛知大学の前身)では、卒業の要件として数人グループによる中国国内大旅行の実践と旅行記録の提出を課しており、当時の学生たちは苦心惨憺の末きわめて詳細な兵要地誌的価値を持つ記録を提出した。今日も愛知大学豊橋キャンパスに現存する膨大な記録のごく一部は新人物往来社『東亜同文書院・大旅行記録』で触れることができ、もちろんそれらは青春の汗と涙で描き上げた純粋な記録、あるいは異文化世界に対する限りない好奇心の発露とみることも出来なくもない。しかし、民国政府が発行した護照(通行手形・パスポート)を片手に通過点の県政府に押しかけ、その場その場で県長との面談をはじめとする各種便宜の提供を受けることに至っては、背後にある日本の圧倒的な軍事的存在感を抜きにして考えられない。受け入れた当時の中国の人々がどう思ったかは推して知るべしであろう。

排除すべき日本人に
頼らざるを得なかった中国

 日本の敗戦と国共内戦、そして人民共和国の時代に及んで、中国国内での日本人の活動は一転、基本的に居住・移動の自由を奪われて監視下に置かれた「留用日本人」のそれに限られた。「留用」とは、民国・人民共和国には工業技術・鉄道運営・各種インフラを担う人材が著しく不足していたため、将来を担う中国人の育成をさせつつ日本人の技術力を国家建設に活用するというものである。最も代表的な事例としては、資源豊富で国防上重要な甘粛・新疆など西部地区への交通手段として建設された隴海鉄道・天水~蘭州間であろうか。この区間は急峻かつ地盤が脆い黄土高原を貫く難工事のため中国の手に負えず、留用した満鉄技術者を大量動員してようやく完成した。これによって1950年代後半以後、チベット高原での反乱に対し人民解放軍を迅速に動員することが可能になり、新疆ウイグル自治区への漢人移民が加速されたことは否めない。

 人民共和国初期における日本人の存在感は、このように実はきわめて大きかったはずだが、中国は「帝国主義残滓の精算」「中ソ蜜月(中ソ対立によるソ連技術者引き上げ後は自力更生)」を強調するあまり、これまで秘して語られなかった(今や満鉄関係者の高齢化により、満鉄史も風化の危機に直面している)。最も排除すべき日本人を活用することによってしか当座の重要建設ができなかったことを公にすること自体、共産党の正統性に傷がつく。

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