定年バックパッカー海外放浪記

2018年3月25日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2016.10.10~12.23 75日間 総費用21万7000円〈航空券含む〉)

山岳青年Yさんと名古屋の鉄人Nさんとコタキナバルで合流

 マレーシアのキナバル山4095mに登ることを思いついたのは、山岳青年Yさん40歳(『高原の町で“孤高の人”に出会うベトナム美人との恋模様の行方はいかに』2016年2月28日掲載の“孤高の人”ご参照)の計画を聞いたからであった。Yさんは2カ月の休暇を取得して日本から韓国、中国、インドシナ半島、マレー半島を経てボルネオ島に至る大旅行を計画していた。その最終目的がキナバル登山だ。

キナバル山公園管理事務所受付嬢。日本人はオジサンも含めて全員がなぜ写真でピースをするのか外人からみると奇妙な現象のようです

 コタキナバルでYさんと合流してキナバル山登頂を目指すことに決めた。キナバル登頂計画を名古屋の鉄人、Nさん(『10年間の介護、早期退職、邦人巡礼者たちの背負うもの』2016年10月16日掲載ご参照)に吹聴したところ冒険好きのNさんは即座に参加表明。こうして3人組でキナバル登頂を目指すことになった。

キナバル登山は“高嶺の花”なのか

KK市内のキナバル山ロッジ予約センターのイボンヌ嬢はカトリック教徒

 登頂予定は12月5日・6日の2日間である。コタキナバル(通称KK)に11月下旬に到着していたので、欧米のバックパッカーと出会うたびにキナバル山について尋ねてみたが半数くらいは、「登りたいけど費用が高すぎるのでギブアップ」という反応。

 ロッジは夕食・夜食・朝食付きで、ドミトリー(2段ベッドの大部屋)でも1泊2万円超である。なお、ロッジの料金には初日のランチボックス(お弁当)、2日目の下山後の登山口のレストランのビュッフェランチも含まれている。

 さらに公園入園料+入山料+ガイド+ミニバスで280RMマレーシアリンギット(≒7600円)。KK市内から往復ローカルバス、ミニバスを使用しても1人あたり合計3万円也である。KKのゲストハウスが一泊朝食付きで20RM(≒520円)なのでバックパッカーにはキナバル登山は“高嶺の花”なのだ。

安全第一の国営管理登山

 安全管理&自然保護の観点からガイド雇用は義務である。5人以上のグループでは5人ごとに1人のガイドを雇わねばならない。

 さらにキナバル登山の特徴は、全員が1泊2日で登頂完了するように詳細に時間が設定されていることである。例えば初日は10時までに登山口を出発、夕刻5時までにロッジにチェックインする。2日目は午後4時までに登山口まで戻ることが決められている。ガイドは登山者の経験・体力・体調を見ながら休憩時間や歩く速度を調整する。

左からオジサン、ラトビア出身のサニータ嬢、鉄人N氏。結局サニータとN氏の健脚コンビは先にどんどん登ってゆき、オジサンと付き添いのY氏はガイドに先導されてゆっくり登山

 11月5日 午前9時半、山岳ガイドとラトビア出身のサニータ嬢と邦人おじさん3人の5人グループで時折小雨の降る中を標高3000mのロッジを目指し歩き出す。サニータは一人旅なのでガイド費用を割り勘するためにオジサングループにジョインしたのだ。

ガイドは高いプロ意識を持つ専門家

食虫高山植物のウツボカズラ

 ガイドは全員地元出身でルート、天候、植物など熟知している。彼らは見るからに頑強であり必要であれば登山口から3000mのロッジまで半日で往復できるという。ガイドになるには経験と知識と語学が必須だ。どのガイドも英語は当然として、登山に最小限必要な言葉を日本語、スペイン語、中国語、ハングルなどの様々な言語で話す。

 地元の少年は宿泊ロッジや休憩小屋で必要な食糧・資材の担ぎ屋からキャリアをスタートする。ある程度経験を積むと、次はガイドの指揮下で登山客の荷物を運ぶポーターとなる。最終目標はガイド資格取得である。

 ガイドは無線を携行しており緊急時には救急ヘリを呼ぶ。登山道脇には数キロごとにヘリパッドが設置されている。最短距離にあるヘリパッドまで登山者を担いで歩く体力が要求される。

ラトビア娘サニータの逞しさ

 サニータはバルト3国のラトビア出身だ。歩きながら話を聞くと、例によってラトビアの若者も国内には仕事がなく若年失業率が高い。EU域内での経済格差は大きくラトビアの若者はドイツ・英国・フランス・オランダなどへ出稼ぎするという。

写真奥の担ぎ屋の青年が1人で運んでいた巨大容器。外人登山者が担ごうと何人もトライしたが全く持ち上げられず

 彼女も友人と一緒に北アイルランドの農場で働いた。気候的にラトビアと似ており賃金も悪くないようだ。ボルネオのあとは旅行資金を稼ぎにニュージーランドの農場で一年間ワーキングホリデーするという。

 サニータによると農作業は自然のなかで自由に働けるので自分に適しているという。逆にオフィスでの事務作業や、お店で接客サービスするのは精神的ストレスとなり苦手だという。米国、欧州、日本、豪州など先進国の商品作物を栽培する商業的農業経営はサニータのような出稼ぎ労働者によって支えられている。中国でも広州や上海近郊の農家では、田畑で働いていたのは地方からの出稼ぎ労働者だったことを思い出した。

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