2024年4月20日(土)

幕末の若きサムライが見た中国

2018年4月28日

アヘンの本当の恐ろしさに気づいた日本の若き侍

 ある日、上海を管轄する役所を訪問した。自らが目にした役所内の様子を、「ソノ情躰甚ダ賤シ。又禮儀ヲ知ラズ。見苦シキ下僕ト見ユルモ、主客ノ座ヲ憚カラズ立騒ギ見物ス。或ハ應接アル所ノ後障ヨリ數十人窺ヒ見ル。又我輩ノ傍ニ來リテハ、衣服ヲ撫デソノ品價ナドヲ評シ、或ハ草履ヲ取ツテソノ製ノ異ナルヲ笑フ。最モ珍奇トスルハ刀釼ナリ。頻リニコレヲ看ンコトヲ請フ。許サゞレバ窃カニ取ツテ抜カントス。ソノ形様ノ野鄙ナルコト云ワンカタナシ。コノ後到ルコト兩三度ニモ成レバ、庭前ニハ古キ衣服ヲ晒シ、廊下ニハ多クノ便桶ヲスエ置ケリ。更ニ掃除セシテイモナシ」と綴る。

 上司が日本からの賓客を接待している厳粛であるべき場面を、「後障(ついたて)」の影から鈴なりになって覗いている。汚い手で裃を撫で、武士の魂である刀を触りまくり、抜いてみようとさえする者もいるほど。役所の庭には着古した衣服が干され、廊下には便器が並び、掃除された様子がみられない。綱紀は弛緩するに任せている。納富が呆れ返ったのも肯ける。

 さらに続ける。「既ニ歸リ去ラントスルトキニハ、盤上ニ餘リシ菓子ナドヲ盗ミ、或ハ殘酒ヲ取ツテ飲ムモアリ。實ニ犬猫ニ異ラズ」。武器はハリボテ状態でナマクラそのもの。兵士を眺めるに、「ソノ狀殆ンド狐狸ノ行裝ノゴトシト。官府ノ困窮コレヲ以テ知ルベキナリ」。語るに落ちたとは、こういう状態を指すに違いない。

 下っ端とはいえ役人の惨状は、そのまま民間にも及ぶ。その最たるものがアヘンだ。

「清人云フ、鴉片烟ソノ味ヒ甚ダ美ナリ。然レドモソノ害ノ甚シキハ人命ニ及ブ」。そして「コレヲ吃スレバ一月ニシテ癊必ズ生ズ」。つまり1ヶ月もすれば必ず中毒になる。だが体調不良や気分が優れない時にアヘンを吸えば「精神頓ニ明發ス」るから吸わないわけにはいかない。

 千歳丸が雇った水路案内人は30歳ばかり。英語もできて収入も多いらしい。尋ねると、父母妻子なし。博打もしないし、「女色飲酒ニモフケル」わけではない。高収入であるはずが、ボロを纏ったような水路案内人は「我他事ヲ欲セズ、嗜ムトコロハ唯阿片煙ノミナリ。故ニ得ルトコロノ金多シト雖ドモ、コレガ爲ニ不足ナリト云フ」のであった。ここまで聞いても日本人の誰もが信じない。アヘンの値段が高いといっても、財布がスッカラカンになるほどのことはないだろう、というわけだ。

 すると「須臾ニシテコノ者我輩ノ所ニ來リ、美ナル箱ヨリ阿片烟ノ具ヲ出シ、平臥シテコレヲ吃スルコト凡ソ半刻。皆コレヲ奇トシ傍ニ依テ見物ス。然ルニソノ烟座ニ滿チソノ臭モ亦惡ムベシ」。納富ら一同は面白そうに眺めていたが、アヘン煙が放つ悪臭に誰もが耐えられなくなる。そこで「コレヲ静止スレドモ更ニ耳ニ通ゼズ。眸神蕩ケテ眠ルガゴトクナリケレバ、ソノ久シクシテ過チアランコトヲ恐レ」た。一同の内の誰かが怒りを露わに刀の柄に手を掛け、「キサマ、黙っておけばいい気になりおって」とでも大声で怒鳴ったのか。水路案内人は「アハタゞシクソノ具ヲ収メ出デサリヌ」というわけだ。

 かねてから納富は、清朝の「官軍屢々敗レ」る原因は戦場でもアヘンを吸うからだ。「眸神蕩ケテ眠ルガゴトクナリケレバ」、敵軍の接近も判らない。予め定まった吸引時間になれば、戦闘を中断してしまう、と聞いていたが半信半疑だった。ところが「今コノ者ノナスヲ見テ」、やっと納得できたという。かくて「憐レムベク又戒ムべキニアラズヤ」となる。


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