WEDGE REPORT

2018年5月31日

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 クジラとの衝突によってヨットを失い、命まで失いかけた全盲のヨットマンが、いま再び太平洋横断の夢にチャレンジしようとしている。なにが彼を駆り立てているのだろうか、なぜ生命を賭してまで挑むのか、その根源に迫りたい。

ブラインドセーラー 岩本光弘さん(写真提供:岩本さん)

再チャレンジを決心するまで

 WEDGE REPORTでは2013年にヨットによる太平洋横断にチャレンジしたブラインドセーラー(全盲)岩本光弘さんを半年間、3回にわたって取り上げている。

「辛坊治郎 50代のリセットブラインドセーラーとヨットで太平洋横断へ!」
「ヨット太平洋横断~僕は見えないことをプラスにして生きてきた」
「それでも辛坊治郎・岩本光弘両氏の再挑戦を願う」

 岩本さんのチャレンジをかいつまんで振り返ってみたい。

 2013年3月、岩本さんはキャスターの辛坊治郎さんとダブルハンド(2人乗り)によるヨットで太平洋横断に挑戦することを発表し話題となった。

 2人の挑戦は同年6月に大阪北港を出発し、途中福島県の小名浜港を経由してアメリカ西海岸のサンディエゴ港を目指すというものだ。その間、約60日。全盲のセーラーがダブルハンドで太平洋横断を達成すれば“世界初の快挙”となる。

 その夢を実現するため強力なスポンサーやヨット仲間たちが立ち上がった。その中の一人が大学時代にヨットと出合い「夢はヨットで世界一周」という辛坊さんがいた。

 チャレンジに使われたヨットは外洋航海用として定評があり、間寛平さんがマラソンとセーリングで世界一周を達成した「アースマラソン」の際に使われた「エオラス号」で、太平洋と大西洋を横断した実績を持っている。

 ここで少しだけブラインドセーラー岩本さんに触れておくと、岩本さんは1966年熊本県天草市に生まれ、高校生のときに視力を失い、一度は橋の上から海に身を投げ自殺を図ろうとした。26歳から筑波大学付属盲学校の教員として勤務する傍ら、35歳でヨットと出合い自然と一体化する喜びを知ってはまり込んだ。2006年にはアメリカ・サンディエゴに一家で移住し、世界選手権に出場するほどの腕前になった。

 太平洋横断の出発準備のため2013年3月から単身で大阪に住まいを移し、大阪・北港のエオラス号で実践練習を重ねた。

 健常者には信じられないほどヨットでの動きはスムーズで無駄がない。辛坊さんは「見えないからこそ、余計な動きがないのでしょう」と語っていた。

「なんでこんな挑戦をしてしまったのか……」

 出発までの準備は万全だった。

 2人がアメリカのサンディエゴ港を目指し小名浜港を出港したのは6月16日。想定日数は55日間、順調ならば8月上旬の着港予定だ。

 日本からは毎年数十に及ぶヨットが太平洋横断に挑戦していて、その多くは低気圧の遭遇確率が低いという理由から6月出港を選んでいる。

 2013年6月16日。岩本さんと辛坊さんの二人は、大勢の人たちに見送られながらヨットマンの聖地「小名浜港」を出港。生命を賭した2人の航海が始まった。しかし、小名浜港を出発して6日目、予想外の出来事がエオラス号を襲った。

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