2024年4月26日(金)

WEDGE REPORT

2018年5月31日

 船の底から3回ほど突き上げられるような大きな衝撃を受け、直後に浸水が始まった。6月21日7時35分、辛坊さんは「右舷から浸水あり」とプロジェクト事務局に第一報を入れた。

 ヨットの所在地は宮城・金華山の東南東沖約1200キロの太平洋上である。水深数千メートルのエリアでは海底障害物に遭遇する確率は低い。

 レーダーにも映らず、船体に穴を開けるほどの大きな衝撃を与える障害物とは何なのか、岩本さんは「クジラだ」と直感した。

 2人は排水を試みるがとても浸水スピードには間に合わなかった。諦めてライフラフト(救命いかだ)を広げ予め準備された防水仕様の緊急持ち出し袋を持って、岩本さんをサポートしながら辛坊さんも乗り移った。

 そして8時1分、ライフラフトから「船体放棄」を事務局に連絡した。緊急持ち出し袋には、食料や水のほかに、イリジウム衛星電話とGPS機器が入っており、捜索活動に入った海保側と随時直接連絡を取ることができた。

 漂流すること11時間。同日18時14分、海上自衛隊の救難飛行艇US-2が到着。着水限度を超えた荒れた海上にもかかわらず、積極果敢な救難活動によって2人は無事救助された。US-2に搭乗した海上自衛隊員11名にとっても生命を懸けた救助活動だった。

 このとき海上保安庁はUS-2が救助できなかった場合に備え巡視艇を派遣し、さらに民間の商船が現場に向かっていた。

 「申し訳ない。ぼくが太平洋横断なんて夢を持たなければよかったんだ。辛坊さんをはじめ、海上自衛隊や海上保安庁、大勢の人たちに迷惑を掛けてしまった。なんでこんな挑戦をしてしまったのか……」

 厚木基地に着いた二人を待っていたものは、目の見えない岩本さんにも見えるほどのフラッシュだった。その場で記者会見が開かれ、感謝と謝罪の姿が全国に報じられた。

 奇跡の生還ではあった。しかし、この太平洋上におけるクジラとの衝突事故及び救難活動については、企画から準備に至る過程に事実誤認を含め「無謀な冒険」「税金のムダ使い」「24時間テレビの障害者企画」など、さまざまな批判を浴びることになった。

 こうして岩本さんのチャレンジは幕を閉じた。

「このままじゃ終われない」

 この救難活動は3つの奇跡が重なったと言われている。

 その奇跡を岩本さんの言葉で振り返ってもらった。

1.事故が起きたのが朝だったこと

 「ぼくは夜中だろうが昼間だろうが見えていませんから行動する能力は変わりませんが、辛坊さんは絶対にちがっていたはずです。パニック状態の中であれだけの救命いかだを展開できたのも明るかったからです。あれが夜だったらどうなっていたかわかりません」

2.飛行艇US-2の飛行距離内だったこと

 「事故の起きた現場はUS-2が来られる最長の距離だったのです。もしも、クジラにぶつかったのが一日あとであればUS-2は来られず、その後、3日間くらい救助艇(船)を待っているしかありませんでした。それでは身体が冷え切ってしまい持たなかったかもしれません」

3.夏至の日だったこと

 「事故のあった6月21日は夏至で昼間が一番長い日だったのです。US-2が着水したのは日の入り5分前でした。あと1週間前か後であれば、あの時間に着水することはできなかったと思います」

 岩本さんはさらにこう続ける。

 「着水できる規定以上の波があったのですが、夕凪になって波が少し落ち着いたところでキャプテンの判断によって着水してくれたのですが、エンジンの一つが壊れてしまいました。11人のクルーが乗っておられたので、何かあれば13人が亡くなる可能性がありました。すごい決断だったと思います。そのおかげで今のぼくがあります」

 その後、岩本さんは事故による死の恐怖とメディアやネットから伝わってくるバッシングに押しつぶされ、一時は海を見ることさえできないほどの恐怖を感じていた。サンディエゴのセーリング仲間から「海に行こう」と誘われても「オレはもういい」と断り続けた。


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