人間は、損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動をとる
本書のなかで、牧野氏はこんな事例を示している。
2つの選択肢のうちどちらが望ましいか。
(a) 確実に3000円支払わなければならない。
(b) 8割の確率で4000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてよい。
(b)の損失の期待値はマイナス3200円(=マイナス4000円×0.8+0円×0.2円)で、(a)よりも損失が大きくなる。人が合理的に動けば、(a)を選ぶ。しかし、実験では(b)を選ぶ人が多い。つまり、「人間は、損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動をとる」のだ。
これを証明したのが「プロスペクト理論」で、人は財が増えるのと、減るのとでは、減る場合のほうに価値を置く。そのため、損失が出る場合は、その損失を小さくすることを望む。つまり、確率は低くても、損失が0円になる可能性がある(b)を人は魅力的に感じてしまうということだ。
この(a)と(b)の状況は、昭和16年(1941年)に、日本が置かれた状況と同じだと、牧野氏は指摘する。
(A)昭和16年8月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しない場合、2~3年後には、確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈服する。
(B)国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし非常に低い確率ではあるが、ドイツがソ連に短期で勝利し、英米間の海上輸送を寸断し、日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化してイギリスが屈服すれば、アメリカの戦争準備は間に合わず、講和に応じるかもしれない。
「プロスペクト理論に基づけば、現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性があるということになるのです」
牧野氏は「『開戦すれば高い確率で日本は敗北する』という指摘自体が、逆に『だからこそ低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない』という意思決定の材料になってしまった」と指摘する。
これが「なぜ正確な情報があったにもかかわらず、開戦にいたったのか?」という疑問に対する牧野氏の答えだ。