児童書で読み解く習近平の頭の中

2018年10月11日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

巨大なプロパガンダ国家の中国では、共産党中央宣伝部によるメディアを総動員しての教育・洗脳・宣伝工作は一貫して続く。習近平世代も、そして次世代も、次々世代も、共産党独裁政権が続く限り止むことはないだろう。児童・青少年を標的とする出版物を読み、習近平世代以降の中国指導層の”柔らかかった脳”に刻み込まれた思想を探り、彼ら権力者の振る舞いの根源を解読したいと思う。

iStock / Getty Images Plus / bycostello

 プロパガンダの戦いでもあった文革において、毛沢東派は劉少奇派を“圧倒的に圧倒”した。新聞、雑誌、単行本、児童書、絵本などの印刷物、京劇や地方劇などの演劇、相声(おわらい)や説書・評書(語り物)などの大衆芸能……ありとあらゆるメディアを総動員しての絨毯爆撃である。毛沢東思想が「百戦百勝(絶対不敗)」であることを全土に向けて宣伝し、老若男女にかかわらず全国民を教育し洗脳しようと仕掛けた毛沢東派の大攻勢は、遂には医療・健康から料理、さらにはミシン修理にまで及んだ。

毛沢東思想なくして「医学の進歩」はありえない?

 毛沢東が「偉大な勝利の大会」と自画自賛し文革の勝利を総括した中国共産党第9回全国代表大会が開かれた1969年、『快速針刺療法』(人民解放軍空軍潘陽医院 人民衛生出版社)が出版されている。

「海は沸き立ち、山は喜び笑う。中国億万軍民は激情のうちに中国共産党第9回全国代表大会の開催を寿ぎ祝う。我われの心の中にある限りなく紅い太陽である毛主席の万寿無窮を千遍歓呼し、万編歌い慶祝する」と異様なまでに興奮した調子で書き出された「出版説明」は、「2年余のプロレタリア文化大革命の戦いを経て、医薬衛生戦線における革命派は毛沢東思想を高く掲げて反徒・内奸・労働匪賊である劉少奇の反革命修正主義医薬衛生路線を激烈に批判し、毛主席の『医療工作の重点を農村に置け』という指示を固く守り、労働者・貧農下層中農のために奉仕する。医療技術の統帥に当たっても毛沢東思想に学び、ブルジョワ階級による外来の教条主義、古い枠を大胆に打破し、医学史上空前の奇跡を永続的に創りだす」と続ける。

 毛沢東思想を活学活用したことで、従来には見られなかった無痛・無刺激の画期的な「快速針刺療法」が考え出されたというのだから、まさに医学も政治であり、毛沢東思想がなかったなら医学の進歩はありえないとでも言いたげである。

 この“文革式針治療”に関する技術解説書の巻末には、毛沢東思想によって「大衆の病気を全治させることができた」という「典型的な治療実例」が示されている。

「精神分裂の治療例」で示されている「潘さん、女、46歳」だが、彼女は「夫の突然死によって精神に変調を来たし『精神分裂症』となった。泣いたり笑ったりで家事も不可能」。そこで「毛沢東思想によって潘おばさんの頭脳を武装したあと」、直ちに針刺治療を施した結果、現在に至るまでずっと安定しているとのことだ。

 この本は「我われは共に心の中の限りなく紅い太陽、我われの最も敬愛する偉大な領袖である毛主席の万寿無窮(バンバンザイ)を、偉大なる領袖毛主席の親密な戦友である林副主席の永遠なる健康を共に強く祈りたい」と、医学書らしからぬ高揚感で結ばれる。

 ところが、である。この本の出版前後から「偉大なる領袖毛主席」との間で最高権力をめぐる暗闘が始まり、「親密な戦友林副主席」は敗北した果てに1971年9月にモンゴル領内で謎の死を遂げてしまったのである。

「はだしの医者」による眉唾モノの医療

 1970年に出版された医学関係書では、やはり『常見眼病的防治』(上海人第二医学院付属新華医院眼科編 上海市出版革命組)を挙げておきたい。

 麦粒腫、結膜炎、トラコーマ、角膜炎、白内障など17種類の日常的な眼病の症状を白黒とカラーの両写真で示し、それらの原因を詳細に解説し、治療ための漢方・西洋双方の常備薬と調剤法を紹介し、手術方法をイラスト入りで説明したうえに近眼検査表まで付いているというのだから、さながら眼病に関する“文革版家庭の医学”といったところか。

 巻頭の「前言」は先ず「叛徒であり内なるスパイであり裏切り者の劉少奇と衛生部門における代理人は、毛主席の衛生工作に関する一連の指示を長期間にわたって狂ったように妨害し、反革命で修正主義の衛生路線を頑なに推し進め、広大な農山村を医者も薬も少ない状況に打ち捨てたままだった」と、医療部門にまで及んだ劉少奇の犯罪を告発する。

 そこで「医療工作の重点を農村に置け」との「毛主席の輝かしき指示」に従って「赤脚医生(はだしの医者)」が生まれた。赤脚医生とは1950年代半ばから試みられていた制度で、労働しながら農山漁村で医療衛生活動を進めるセミプロ医療従事者を指し、一定程度の学歴を持つ若者に1カ月から3カ月程度の期間で初歩的医療実務を学ばせ、農山漁村における公衆衛生対策を担当させた。

 ところが文革が始まるや、赤脚医生は毛沢東思想と強く結び付けられ、「毛主席に無限の忠誠を誓う万能の医療従事者」として内外に大々的に宣伝されることになる。

 この本は赤脚医者、労働者医師、革命的医療関係者が日常的に接する眼病の診断・治療・予防の便に供するために、「労働者と軍の宣伝隊の指導と積極的な支持を受け」た上海第二医学院附属新華医院革命委員会によって出版されている。

 当時、赤脚医生による眉唾モノの治療や手術の模様と輝かしい成果が、毛沢東派メディアを通じ洪水のように伝えられたことを覚えているが、はたして当時の人々は毛沢東思想で難病が治ると信じていたのか。はたまた信じ込んだフリをして見せていただけなのか。

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