昔も今も「地方創生」の流れは変わらない
渋草焼の始まりは1841年(天保12)。自然発生的に誕生したのではなく、江戸幕府の天領時代、郡代・豊田藤之進氏が地場産業を作るべく、尾張瀬戸から陶工を招いて窯を開かせたのが始まりと言われている。その後、磁器の焼成に成功すると、次は加賀から絵付師を呼び寄せ、九谷風の絵を描かせるようになった。
今でこそ、伝統産業といわれるが、当時は最先端産業だったのであろう。特に、高温で焼かなければならない磁器は、陶器よりも難易度が高かった。その技術者を地域へ招聘、窯の創業を援助し、仕事を生み出す。地域経済や雇用を支える産業を創出してきたのである。今の地方創生の流れと変わらないなぁと感じる。いつの時代も人間が考えることは同じである。
さて、そんな産業として創出された渋草焼だが、私がはじめて話を聞いたときに珍しいなぁと思ったのは、陶器と磁器どちらの原材料も採れる産地であるという点。地の利もあったのだ。まさに戦略的産業振興。おおよそ、陶器の産地と磁器の産地は分かれているのだが、どちらの原材料も手に入るということで、渋草焼は昔から、一人の職人さんが陶器と磁器の両方を扱っている。陶器の原材料の土は各地でそれぞれの特徴がありながらも手に入るのだが、磁器の原材料の石が産出する産地は稀である。
素材が違えば風合いも異なる。それぞれに素材をイメージしてみると分かりやすいと思うのだが、土でできた陶器は温かみを感じるほっこりとしたお顔立ち。石でできた磁器はどちらかというとシュッとした端正なお顔立ちの子が多い気がする。もちろん作風でも変わるので一概には言えないが、おおよそそんなイメージ。渋草焼の職人さんがろくろを引くと、陶器は陶器らしく、磁器は磁器らしく仕上がる、まさに両刀使い。
私がお家で花粉から身を守りながら晩酌するこのセットは、徳利は陶器、盃は磁器でできている。盃に日本酒を注ぐと、湖に桜の花が写っているかのような、そんな見立てをしながら花見酒を楽しめる。夜は照明を落としながら、和蝋燭の光で夜桜の花見酒を楽しむのもなかなか乙である。今宵は花粉症を忘れて、夜桜を楽しむとしよう。
1988年東京都生まれ。職人と伝統の魅力に惹かれ、19歳の頃から全国を回り始め、大学時代に日本の伝統文化・産業の情報発信の仕事を始める。「日本の伝統を次世代につなぎたい」という想いから、大学4年時である2011年3月、株式会社和えるを創業、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2012年3月、幼少期から職人の手仕事に触れられる環境を創出すべく、“0歳からの伝統ブランドaeru”を立ち上げ、日本全国の職人と共にオリジナル商品を生み出す。テレビ東京「ガイアの夜明け」にて特集される。日本の伝統や先人の智慧を、暮らしの中で活かしながら次世代につなぐために様々な事業を展開中。
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