渡邊が入社前に持っていた“夢”は、漠然としたものだった。
「“これ! これ!”と言ってもらえる化粧品を作りたいと思っていました。感覚って上手く言葉にできないじゃないですか。でも、ピタッとくる使い心地や効果はあります。それを作りたいな、と……」
しかし、入社後に見つけたのは“何もできない自分”だった。
「今でも覚えているのは、上司に試薬を渡され“使い心地をレポートしてほしい”と言われた時のことです。スキンケア商品は、何十もの成分からできているんですよ。その成分をひとつずつ外し“これがないと使用感がこう変わる、これがない場合は……”というレポートです。でも当時は、成分をひとつ外しただけでは、感覚的な違いがわからず、何が何のために入っている成分かすらわからなかったんですよ」
仕事を覚え、その後も、言われた仕事をこなすだけで精一杯の日々が続いた。次第に入社前の思いはルーティンワークの多忙さに飲み込まれていったのだ。
義務をこなす感覚だと、
ヒット商品を出してもうれしくない
彼女は“できない”ことを穴埋めするかのように「仕事にはがむしゃらに取り組んだ」と話す。許される時間いっぱいまで残業し、周囲の依頼に応えようとした。結婚し、妊娠していた時も、体調より仕事を優先したほどだった。
転機が訪れたのは、入社から5年後だった。彼女が研究を手掛けた商品が売れたのだ。
「肌の生まれ変わりを促して、ハリとしなやかさを与える効果が高い物質があるんです。しかし、光・熱・酸素に弱く、安定して配合できなかったことから、一般的に“商品化は難しい”と言われていました。そんな中、弊社は私が担当して研究を進め、結果を元に商品ができたんですよ」
“成功”と言っていい成果だったが、渡邊の中に達成感は無かったと言う。
「売り上げが好調と知っても“そっか。じゃあ次の研究をしなきゃ”くらいにしか思いませんでしたね」
仕事が義務から権利に変わる瞬間
だが、商品が売れたことで彼女の周囲が変わった。
「この頃から、スキンケアに関する社内プロジェクトや、外部の方もいらっしゃる研究会に呼ばれ、開発も“これをやってほしい”でなく、どのような商品を作るかまで聞かれるようになってきたんです」
その結果、彼女の仕事は、次第に“与えられるもの”でなく、結果を出すまでの過程も“自分で考える”ものに変わっていった。
「周囲に“これをやってほしい”と頼まれるのでなく“こういうものを作りたいんだけど、どうすればいい?”と聞かれるようになったんです」
すると、彼女の仕事に微妙な変化が現れた。“やらされていた仕事”、いわば“義務”だった仕事が、彼女の思いや知識や技術を表現する“権利”になったのだ。
例えばスキンケアの商品開発の時“まだベタつくよね?”と言われたら、以前は言われた通りベタつかないようにするだけだった。
「でもいつしか“ベタつきをなくしながらも、一方で、さらに肌がすべすべになるような成分が必要なのでは?”などと自分で仕事を足すようになったんです」
仕事の“全体”が見えるまではがむしゃらに進む
研究員として商品開発の一部をこなすのでなく、社会人として、どんな商品を作り、どう社会へ貢献していくかまで考えることができるようになったのだ。
「例えば、今、私の研究が役立った商品の開発に関わるとしたら、売り上げデータを分析はもちろん“お客さまは、どんな思いを抱いてこの商品を使われるのだろうか”とか“この技術を使って別の商品を開発できないか”などと考えると思います。ただ、任された仕事をこなしているだけだった時代は、私に任された仕事を終えれば、そこがゴールだと思っていたんです」
渡邊は「若い頃のがむしゃらは「苦労」でなく、仕事全体が見えるようになるまでに必要な経験だった」と話す。ただし「そうわかったのは、一度、成功体験をしたあとでしたね」とも言う。
≪POINT≫
◆仕事の「全体」を見ると努力は報われる!
“石を積む人”の寓話をご存じだろうか。3人の兵士が「石を積んでおいてくれ」と言われた。1人目は単に石を積んだ。2人目は「どう積めばいいんですか?」と質問し「壁を作ってくれ」と言われたから石を積んで美しい壁を作った。3人目は「何を目的にしているんですか?」ということも聞いた。すると「敵の侵入を防ぐ壁を作りたい」と言われたから、頑丈な壁を作った。
頼まれた仕事をこなすだけではもったいない。その仕事の最終目標がどこにあるかを知れば、おのずから、行動の細部が変わるはずだ。