田部康喜のTV読本

2012年8月15日

»著者プロフィール
著者
閉じる

田部康喜 (たべ・こうき)

東日本国際大学客員教授

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

 東日本大震災の被災地は旧盆、送り火となる。原爆忌から終戦記念日……列島の夏は苛烈である。年明けに刊行された『日本の歳時記』(小学館)は、編集委員の間で論議を呼んだ末に「震災忌」を入れた。そして、2年目の盆である。

昭和の大津波はどう報じられたか

 「津波は、岸に近づくにつれて高々とせり上がり、村落におそいかかった。岸にもやわれていた船の群がせり上ると、走るように村落に突っこんでゆく。家の屋根が夜空に舞い上がり、家は将棋倒しに倒壊してゆく」

 「夜が、明けた」

 「田老は、一瞬の間に荒野と化し、海上は死骸と家屋の残骸の充満する泥海となっていた」

 現在の岩手県宮古市田老地区が、津波に襲われた瞬間の記録である。ただし、それは1933(昭和8)年3月3日の大津波のときのことだ。

 三陸海岸を襲った明治と昭和初年、そしてチリ地震津波を描いた、吉村昭の『三陸海岸 大津波』の一節である。同じ筆者による『関東大震災』とともに、東日本大震災の前に多くの人に読まれていれば、防災と減災に役立ったに違いない、と筆者が考える畢生の労作である。

 昭和の大津波のときに、メディアはどのように報じたのか。新聞はもとよりあった。ラジオ放送は、関東大震災後から1年半後の1925(大正14)年3月22日に始まったばかりだった。

大震災から1年 NHKスペシャル
その地に生きる人々が残した映像

 「映像の世紀」といわれる20世紀を超えて、東日本大震災は起きた。犠牲者の方々に心より哀悼の意をあらわすとともに、映像の力が未来の救いになる、との確信を抱いて、これまで放送された番組を紹介したい。デジタル情報革命によって、21世紀の映像はサーバーに格納されてその番組の一部は、ビデオ・オン・デマンドによって視聴が可能である。吉村昭の作品が繰り返し読まれるべきだと考えると同様に、震災の映像は何度でも見られるべきである。

 NHKスペシャル「映像記録 3.11~あの日を忘れない~」は、大震災1周年を前に放映された。震災発生の直前の日常風景から、町々を襲う巨大津波、そして跡形もなくなった風景を撮影したのは、その地に生きるふつうの人々であった。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る