東日本大震災の被災地は旧盆、送り火となる。原爆忌から終戦記念日……列島の夏は苛烈である。年明けに刊行された『日本の歳時記』(小学館)は、編集委員の間で論議を呼んだ末に「震災忌」を入れた。そして、2年目の盆である。
昭和の大津波はどう報じられたか
「津波は、岸に近づくにつれて高々とせり上がり、村落におそいかかった。岸にもやわれていた船の群がせり上ると、走るように村落に突っこんでゆく。家の屋根が夜空に舞い上がり、家は将棋倒しに倒壊してゆく」
「夜が、明けた」
「田老は、一瞬の間に荒野と化し、海上は死骸と家屋の残骸の充満する泥海となっていた」
現在の岩手県宮古市田老地区が、津波に襲われた瞬間の記録である。ただし、それは1933(昭和8)年3月3日の大津波のときのことだ。
三陸海岸を襲った明治と昭和初年、そしてチリ地震津波を描いた、吉村昭の『三陸海岸 大津波』の一節である。同じ筆者による『関東大震災』とともに、東日本大震災の前に多くの人に読まれていれば、防災と減災に役立ったに違いない、と筆者が考える畢生の労作である。
昭和の大津波のときに、メディアはどのように報じたのか。新聞はもとよりあった。ラジオ放送は、関東大震災後から1年半後の1925(大正14)年3月22日に始まったばかりだった。
大震災から1年 NHKスペシャル
その地に生きる人々が残した映像
「映像の世紀」といわれる20世紀を超えて、東日本大震災は起きた。犠牲者の方々に心より哀悼の意をあらわすとともに、映像の力が未来の救いになる、との確信を抱いて、これまで放送された番組を紹介したい。デジタル情報革命によって、21世紀の映像はサーバーに格納されてその番組の一部は、ビデオ・オン・デマンドによって視聴が可能である。吉村昭の作品が繰り返し読まれるべきだと考えると同様に、震災の映像は何度でも見られるべきである。
NHKスペシャル「映像記録 3.11~あの日を忘れない~」は、大震災1周年を前に放映された。震災発生の直前の日常風景から、町々を襲う巨大津波、そして跡形もなくなった風景を撮影したのは、その地に生きるふつうの人々であった。