第3条:予定を選択する勇気を持つ
2拠点あると、どちらの拠点の予定も入ってくるので、必然的にその調整が常となる。大事な予定がバッティングするということも少なくない。とりわけ家族がいると、誰かの予定がどこかに入ってくる状況が続いたりもする。全体最適を探るのはそれなりに大変だ。
当たり前のように付き合っていた友人とのランチ、どちらかというと行った方が角が立たない仕事関係のイベント、こどもたちの学校の予定、塾の授業。それらに全参加しないと「不義理になるのでは」「不利益があるのでは」と落ち着かないのであれば二拠点生活は単なるオーバーワークになりかねない。田舎での自然相手の仕事はこちらの都合など忖度しないし、年に一度の地域行事など自分の予定に関係なく入る。困ったなあ、と悩みつつもそれらを取捨選択する勇気が必要だ。
筆者も調整に悩むことがあったが、本当に大事な人間関係や仕事は失われないということを体得していった。人は、参加する時より、参加しないことを決める時の方が、主体的に人生をつくっていく意識を持つ。損する可能性を無限に心配するより、選んだ予定を大事にし、満喫することで人生のクオリティを上げていくという考え方はどうだろう。
最後に、地方を傷めないという心構えも
さまざまな事情により二拠点生活が続かなくなることもある。ただ、安易に始めて、安易に終わらせるのはお勧めしない。そうした二拠点生活者が増えると、受け入れ側の地方は傷むからだ。暮らしの場をつくれば、そこには個人と地域が関係を持つことになる。地域は、入ってきた人がいることに喜び、すぐに去っていくことにそれなりに傷つく。「二拠点生活を始めようと思うことのできた大事な地域を傷めない」という気持ちがあればいい。
「おいおい勘弁してくれよ、自分の人生を豊かにするための二拠点なわけで地域のために住んでいるわけじゃないよ」と思う人もいるだろう。田舎なんて他にもいろいろあるんだから合わなきゃ出てくだけだと言われればその通りだ。
ただ、田舎の豊かさとは、地域の人たちが時間をかけて積み上げてきたものに他ならない。手つかずの自然のように見える里山だって、そこに住まう人たちがたんびたんびに手入れをしていくことで生物多様性が維持され、豊かな四季折々の顔が見える風景になっている。二拠点生活者として住まうということは、それを継続的に楽しむ立場に立つということ。つまり、地域のつくり手、豊かさを未来に残す担い手になるということだとも言える。
〝田舎〟といった大括りの呼称を使う時、そこに暮らす人の顔は浮かばないものだ。それが「南房総」とか「三芳地区」と具体的になればなるほど、その土地にいる友人知人の顔や日々の営みがありありと浮かぶようになる。彼らとのつながりを持つことで、消費型の暮らしから創造型の暮らしへと変化していくのだと感じる。そこには、お金を落として地域を楽しむだけの旅行者とはまったく違う喜びがあり、絆があり、責任もある。人生を変えるほどの価値が生まれる。「リモートワークで自由な場所で働けるようになった!」というきっかけから思いもよらない人生へと転がり出すことも楽しんでもらいたい。
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