故郷のメディアはいま

2012年10月31日

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小田桐 誠 (おだぎり・まこと)

ジャーナリスト

1953年、青森県生まれ。亜細亜大学法学部卒業。出版社勤務を経てフリーのジャーナリストに。2004年7月から4年間、放送専門誌『GALAC』編集長。現在、法政大学と武蔵大学社会学部兼任講師。BPO(放送倫理・番組向上機構)「放送と青少年に関する委員会」委員、NPO法人放送批評懇談会常務理事・選奨事業委員長。近著に『NHK独り勝ちの功罪』(ベスト新書)がある。

ヒッチハイク企画で一躍人気者に

 東京・銀座1丁目にあるアンテナショップ「TAU」をのぞくと、有吉の等身大のポスターなどに「おしいは、おいしいの、一歩手前。」「レモンの生産量日本一なのに、全国に知られていない…おしい!」といったキャッチコピーが店内の至るところに貼られている。「TAU」は、広島の方言で「届く」を意味する。今テレビの電源を入れれば、有吉を見ない日はない。「猿岩石」解散後、ピンの「毒舌芸人」として再ブレーク。正真正銘の人気タレントに届いた有吉は、果たして広島の「おいしい」を全国に届けることが出来るのか。

 有吉は、1974年5月生まれ。「熊野筆」で知られる広島県安芸郡熊野町出身で、実家は熊野筆の軸の部分を製造する工場を経営している。地元の県立熊野高校を卒業後、読売テレビ『EXテレビ』の企画「公開弟子審査会」に合格し(93年3月2日放送分)、オール巨人に弟子入りした。ところが、他の弟子と喧嘩し、謹慎を命じられる。謹慎扱いになった有吉は94年、森脇和成とお笑いコンビ「猿岩石」を結成、ボケ担当としてデビューした。96年日本テレビ系『進め!電波少年』のヒッチハイク旅企画で人気者になり、帰国後大ブレーク。ところが好事魔多し。CDや著書が爆発的に売れたものの、ほどなくして人気は急降下し全国ネットの画面から消えた。

救いの手を差し伸べたRCC

 仕事が激減した有吉に救いの手を差し伸べたのが、県内の老舗ラジオ・テレビ兼営局であるTBS系中国放送(RCC)と、ダチョウ倶楽部の一員上島竜兵を中心とする飲み仲間「竜兵会」である。

 RCCは、97年にスタートした『KEN-JIN DX』(2005年終了)に人気が降下しはじめた有吉をレギュラーに起用した。「横山」というアナ、劇団ひとりとともにCDを発売したり、カンニング竹山やアンガールズ、スマイリーキクチなどとともにバスでの年越しライブを敢行。モノマネや現在に至る「いじり」や「あだ名の命名」も披露した。広島では人気の深夜ローカル番組だった。また、「竜兵会」の飲み会で出会った高田文夫がパーソナリティを務めるラジオ番組や内村光良の『内村プロデュース』に出演するようになった。

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