この熱き人々

2013年8月28日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「その頃まだ日本人で登った人はいなくて、日本人初に挑戦したいって一念発起したんです。人がやってないことをやってみたい。前人未踏の世界への好奇心が強かったんだと思う。10年後の26歳でアイガー北壁に登ろうと決めた。同時にもう一つ、28歳で山にかかわるビジネスを始めようと決めた。教科書のあの一文に出会わなかったら私の人生は全く違ったものになったんだろうなあ」

 自らの将来を決める重大なことを2つもいっぺんに決めてしまった。いつか登ってみたい。いつかビジネスを起こそうという漠然としたものなら、単に夢をもったということになるのかもしれない。だが辰野は、26歳、28歳と期限まで具体的に決めている。期限を切った瞬間、それは夢ではなく到達すべき目標になる。

アイガー北壁を制覇

 将来の目標を設定した辰野は、もう漠然と生きていた昨日までとは違う。目標に向かって必要なことを始めなければならない。学校から帰った辰野が真っ先にしたのは「アイガー北壁」と書いた貯金箱を作ったことだという。足腰を鍛えようとか岩登りの練習をしようと思うのではなく、真っ先にお金を貯めようとしたということだ。

 「だって、登るには山のある場所まで辿り着かなければどうにもならんでしょ。まず旅費がかかる。いくら技術だけ磨いても現地に行けなければどうにもならん。先立つものはお金だと考えたんだね。起業しようと思ったのも、サラリーマンの生き方は考えもしなかったから。周囲もみんな商売をしている人で、大きな組織に属している人もいなかった。やっぱり商人の町、大阪の堺だから」

 大阪府堺市。大阪湾に面した寿司屋の8人兄弟の末っ子として生まれた辰野にとって、最初に馴染んだのは目の前に広がる海だったはずだ。

 「まだ砂浜があった時代だからね。でも泳げないの。小さい時に浜で遊んでいて溺れかけた。水の中から空が見えたの今でもよく覚えている」

 そんな恐怖体験があったからか、家から見える金剛山のほうに興味をもった。大阪と奈良の境にある1125メートルの山をいつか登りたいと思いながら眺めていた辰野に、機会が訪れたのは小学校6年の時。全員が参加する学校行事に、金剛山への雪中登山があった。

 「長靴に荒縄巻いて登る。でも、僕だけ行けなかった。校医がダメだって。体が弱かったんです。好き嫌いも多かったし。それがすごいコンプレックスになった」

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