この熱き人々

2013年2月14日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

山の魅力に取りつかれたのは高校生のとき。以来、心身のすべてを登山のためにかけてきた。
死をも覚悟した雪崩による遭難事故を乗り越えヒマラヤ8000メートル峰全14座の登頂をはたしたいま、視線の先にはすでに、次に登りたい山がそびえている。

頂の先は空

 2012年5月26日、夕暮れの迫る17時30分。竹内洋岳は標高8167メートルのダウラギリ山頂に辿り着いた。1995年に24歳で8463メートルのマカルーの頂に立ってから17年の年月をかけて、ヒマラヤ山脈の8000メートル峰14座すべてを登りきった瞬間。世界では14座の登頂は30人近くが達成しているが、日本では最強の登山家と言われた山田昇も9座目に登った後で遭難死、この志を継いだ名塚秀二も10座目のアンナプルナで命を落とすなど、これまで10座の壁に阻まれてきた日本の山岳界にとっても呪縛から解放された瞬間だった。

 「最終キャンプを夜中の1時40分に出て、予定では13時頃には着いているはずだった。夕刻の登頂は普通では自殺行為ですが、私にはそれでも登って下りる自信があったので、ビバーク(露営)してでも登ろうと一歩ずつ自分を押し上げていきました。三歩進んでは息を整え、五歩進んでまた息を整え、疲れきって立ったままうつらうつらすることもありました」

 そんな厳しさを乗り越えて頂に立った時は、どんな感慨が胸をよぎるのか。どんな至福の時間が訪れるのか。すべての苦しさが吹き飛ぶ感動のひとときなのだろうと想像する。

 「ダウラギリの頂上は、そうですね、このテーブルくらいかな」

 竹内が指したテーブルは、ほぼ畳一畳分くらいの大きさである。

 「風が強かったし、頂上にいたのは2、3分くらいだったと思います」

 最終キャンプから頂上まで15時間以上かかっているのに、たった2、3分?

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