この熱き人々

2013年2月14日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「僕の山登りは、自分の足で登って自分の足で下りること。本来、自分の足で下りてないことは死んでるということなのに、自分の足で下りてないのに生きていることがどうしても納得できなくて。体も痺れが残っていて十分ではなかったけれど、這ってでもいいから事故現場までは行きたかった。身勝手な決着のつけ方ですが、そこからもう一度自分の足で下りる。同時に、雪崩をなぜ避けられなかったのかわかるのではないか、亡くなった二人の仲間を感じることができるかも、そんな思いもありました」

 登り直したいという気持ちを、竹内は身勝手なと表現したが、自分の登山のイメージが、どこかで折れてしまって繋がっていない深刻さはわかるような気がする。そこが繋がらないと、14座への変わらぬ思いと覚悟がより強くなっても、覚悟が空回りするかもしれない。竹内にとっては複雑で特別な意味合いの挑戦だったが、この時、事故現場を通り、その先に歩を進め、見事に登頂に成功している。

 「事故現場は、実際に行ったら単に雪の斜面でしかなかった。がっかりしたんです。そこにいることがあまりに辛くて、だから山頂への道を一歩踏み出せた気がします。もし何かあったら、僕はそこから引き返したかもしれない」

 ガッシャーブルムを後回しにすることはできなかった。でも、登り直しても何も変えられないという山の現実の中で、いくばくかの期待も感傷も打ち砕かれて、竹内の覚悟は強靭さを増したと言えるのかもしれない。自分が今生きている不可思議さは、遭難した時に近くにいた各国の登山隊を初め多くの人たちが、自らの危険を顧みずに救助活動にあたり、ヘリでの輸送や帰国までのすべてに力を尽くして命を繋ぎ止めてくれた結果なのだと改めて実感することで、素直に受け止められた。

 「彼らは“ミッション”だと言いました。普段軽く使っちゃいますが、まさに使命。命と引き換えなんですよね。自分は本当はあの時に死んじゃってて、みんなから命を少しずつ分けてもらったんだと思いました。助けてくれた方々へのお礼は、14座を登りきることでしか返せない、ああ、あの時のアイツ、山をやめずに登ったんだなって見てもらうしかない」

すべては登山のために

 山でもらった命だから山で使う。竹内は穏やかな表情でそう言い切った。まるで、山で生きるために名付けられたような洋岳という名は、母方の祖父が付けた。趣味は登山とスキーと写真と車だったという祖父は、初孫の洋岳を近くの山に連れて行った。祖父とのハイキングのような山登りは楽しかったのだろう。その気持ちが高校での山岳部入部に繋がり、そこで顧問教師に引率されて穂高に登った。

 「祖父とは土の山だったけど、初めて岩の山を登って楽しかった。大学の山岳部出身の先生で、岩登りや雪山の話をしてくれて、是非自分もやってみたいと思った。だから大学は山岳部に入るために進学したようなもので、8年在籍しました」

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