2024年5月6日(月)

近現代史ブックレビュー

2023年10月19日

 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載「近現代史ブックレビュー」はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。

 最近、評者は近代日本の暗殺の歴史についてまとめる機会を得た(拙著『近代日本暗殺史』PHP新書)。安倍晋三元首相暗殺事件の震源地を近代日本の歴史の中にたどり、大正時代の暗殺にその原点を見出したのだった。特に注目したのは、朝日平吾の安田善次郎暗殺事件と中岡艮一による原敬首相暗殺事件であった。

 原敬暗殺事件は、右翼による犯行などという間違った見方が長いこと流布していたが、真実は失恋した青年中岡艮一による暗殺であり、間違いを正すことができた。

 しかし、朝日平吾は北一輝の『国家改造案原理大綱』の影響を受けており、中岡の原暗殺は二・二六事件の蹶起趣意書の冒頭に先駆者として書かれている。大正時代の二つの暗殺事件が、北一輝ら超国家主義者の影響のもとに起きた五・一五事件、血盟団事件、二・二六事件などの昭和前期の暗殺事件につながるものであったことは間違いない。

一人一殺
血盟団事件・首謀者の自伝

井上日召
河出書房新社 金額:3960円(税込)

 この昭和前期の暗殺事件の中でも、民間側の犯行による最も重要な事件が血盟団事件(1932年)である。この血盟団の中心人物、井上日召は自伝を書き残している。それが本書『一人一殺』である。最初、1947年に『日召自伝』として刊行されたがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により事実上の発売禁止になり、53年に『一人一殺』の名前で訂正版が出されたものである(72年に新人物往来社から再刊されている)。

 非常に興味深い内容で、こうした問題に関心のある読者は、一度は目を通しておきたいものである。そして気になるのは大正の暗殺事件とのつながりである。

 井上日召は群馬県の生まれで、少青年期を深い迷いの中で生きた。 

 「私の父は忠君愛国に凝り固まった人だったので、よく子供達にその信念を説いて聴かせた。しかるに、私は『生とは何ぞや』『善悪の標準は何か』という疑問に心を閉されているのだから、君に生命を捧げることが何の意義を有(も)つのか、愛国が何故善い事であるのか、さっぱり解らない。むしろ、そう云ったことは馬鹿馬鹿しい事のように思えた」

 こうして、キリスト教の教会を訪ね「一生懸命に聖書を読んだり、教会の集いに出席して、説教を聴いたりした」が満足のいく答えを得られなかった。「善とは何か? 悪とは何か? 善悪を決定する基準は? この問題は寝ても覚めても、私の脳裡から離れたことはないので、実に苦しかった。私はこの苦しみから逃れたい一心で考え抜き、世の人々の言う善悪、人々の行う善悪について、観察しつづけた。その結果、遂に一大発見(?)を成し遂げたのである。即ち、『人は自分に都合のよいことを善と言い、都合のわるいことを悪と呼んでいるのである』と。これが善悪の基準である。しかし、無数の人間が各自の都合を中心とし基準とするのであるから、実際は無基準である。かくて人類が互いに対立し抗争すれば、社会の混乱は必然であるから、それでは困るというので、これを妥協させる方便として、倫理道徳というものを設けて、他人に対して強要し、互いに牽制し合っているにすぎない。しからば私も自分の都合のよいことを善とする以外には考えようがない。どうせ死なねばならぬ人生である。自己欺瞞をしても何の意義があろうか。爾後は断じて有るがままに欲するがままに生き抜こう、と決心した。しかし、このような反逆的な考えを押しつめて行けば、必然的に世間と衝突して、他殺か自殺か、要するに死である、と思い到って絶望暗黒の淵に自らを突き落とした」。

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