2024年5月12日(日)

World Energy Watch

2023年10月11日

マクロン政権のマリ撤退

 フランスはセルヴァル作戦を通じて、過激派の南下を阻止したが、過激派の活動地が周辺諸国にも広がったことを受け、2014年8月に作戦名を「バルカン」に変更し、対象国もマリのほか、モーリタニア、ニジェール、ブルキナファソ、チャドに拡大させた。フランスは同作戦を通じて、アルカイダ系組織やイスラーム国(IS)系組織の指導者および幹部の殺害に成功したものの、過激派を完全に駆逐できずにいた。

 過激派に弱体化の兆しが見えない中、21年6月、マクロン大統領はマリでの軍事作戦の終了を発表し、軍拠点の閉鎖や駐留兵士の段階的削減に着手した。そして22年8月、マリ東部ガオ駐留の仏軍兵士がニジェールに移動したことをもって、フランスのマリ撤収プロセスが完了した。

 仏軍のマリ撤収の理由として、軍事作戦に伴う財政負担、フランス国民世論の変化、マリ政府との関係悪化、の3点が挙げられる。

 まず、フランス会計検査院の国別軍事作戦費によると、マリ介入の13年以前、フランスはアフガニスタン軍事作戦に多くの予算を投じていたため、財政負担の軽減に向けてアフガン撤退を検討していた。こうした中、マリ軍事作戦を皮切りに、中央アフリカ共和国への軍事介入、チャドを拠点に対テロ作戦の活動国拡大、イラク・シリアでの対IS有志連合への参加に踏み切った。

 その結果、フランスは複数の軍事作戦を抱えるようになり、アフガン撤退で削減した軍事費を他作戦に投入せざるを得ず、財政負担の軽減目標を達成できずにいた。この点より、マクロン大統領は長期化したマリ軍事作戦の終了に動いたと考えられる。

 次に、フランス国内でマリ軍事作戦に反対する声が高まっていた。フランスの世論調査会社「IFOP」が21年1月に実施した調査では、マリ軍事作戦に対する反対意見(51%)が13年の作戦開始以降、初めて賛成意見(49%)を上回った。フランス軍兵士の死者数は9年半の軍事作戦で59人に達する一方、過激派が勢力を維持している現状に対し、国民の多くが作戦継続に否定的な態度に転じた。

 マリ介入を決断した当時のオランド政権は、マリにおける過激派の伸長がフランス本土への攻撃につながることを懸念し、自国の安全保障の観点から介入の正当性を主張していたが、この論理も支持を得られなくなっていた。13年以降にフランス国内で起きた過激派の攻撃は主に、中東地域で活動する過激派組織の信奉者によるものだった。このため、フランス国民がシリア・イラクのISの方に治安上の脅威を感じるにつれて、フランス政府は国民からマリでの作戦継続への賛同を得るのが難しくなったと言える。

 そして、仏軍のマリ撤収を決定づけたのが、フランス・マリ関係の悪化である。フランスはマリのケイタ政権と協力して、過激派掃討作戦を実行していた。しかし、20年8月のクーデターで同政権が崩壊し、更には21年5月のクーデターで実権を握ったマリ軍事政権がフランスとの防衛協定を破棄するなど、フランスとの対決姿勢を強めた。これを受け、フランスはマリ軍事政権との治安協力の継続を断念した。


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