2024年5月15日(水)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2024年2月3日

 原作者やそのファンから見れば極めて不本意かもしれないが、それもまた自然だ。原作と映像化と、全く同時に両方に触れることは不可能だし、どちらを先に見るかによって印象は異なることになるからだ。

それぞれの制作者側の〝事情〟

 さらに背景を考えるのであれば、現在の日本は経済的に厳しい時代であり、局も、広告代理店も、そして広告出稿のクライアントもリスクを取ったドラマ制作は許されない。だからこそ、オリジナルでなく、世評の確立した原作物が選択される。けれども、その反面、原作の持つ鋭い個性を全て許容はできないという矛盾の中にある。

 脇役の役割が原作と変わることもよく指摘される。脇役にも著名な俳優を配するのは、局やクライアントの側からすると視聴数(率)獲得のためだ。特に事前の広告営業の際には、出演者の知名度を売り込むのは決定的な要素となる。「ダブル主演はAさんとBさんですが、伸び盛りのCさん、個性派のDさんも出ているので視聴数(率)の積み上げが期待できます」的な営業が、主として広告出稿のターゲットに対して行われる。

 だが、仮に著名俳優を配役しても尺(出演する延べの時間)が短かったり、キャラが弱いと俳優の所属プロダクション側としては出演させるメリットが薄い。何よりも、その脇役の役者さんのファンが失望する。

 そこで脇役のキャラを濃くし、小ネタを追加する必要が出てくる。これも悪意ではなく、ビジネスのもたらす必然性である。

 その一方で、出版社は、ドラマ化で作品のファン層が広がることを期待するので、映像化には基本的に積極的になる。現在の出版界も、漫画を含めて構造的に厳しい時代であり、だからこそメディアミックスで少しでも単行本を売りたいということで、映像化への動機は強い。

 ということで、原作者と映像化の制作陣、コアな漫画のファンとドラマから入ったファンなど、映像化を取り巻く環境においては、利害の不一致が構造的に存在する。そうした複雑な問題の交通整理を行うのはプロデューサーであり、そのプロデューサーというのは、原作の核心的価値を理解して、経済的な成功とのバランスを取るという方向性とスキルを持っているのが最低条件だ。だが、経済的に厳しい時代ということもあり、そのような「スキルのある専門職志向」の人材よりも、局によっては「ビジネスライクにクリエイティブ面の割り切り」ができる人材が好まれるのかもしれない。

 広告代理店の営業部門も、かつてはこうした問題の複雑な交通整理を担っていた。だが、ウェブ広告に押される中で、昔のようにTVや映画の制作過程において、利害関係者の間で高度な調整を行うのは、マンパワー的にも予算的にも自由度が少ないと思われる。


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