2024年12月22日(日)

Wedge REPORT

2015年10月30日

 POPEYE』や『ヤングジャンプ』、あるいは『ファミコン通信』。オリックス・ブルーウェーブやNECブルーロケッツ、あるいはガンバ大阪。『ダービースタリオン』や山下達郎の『TREASURES』、あるいは『動物占い』。共通なのは採用されたイラストやキャラクターを描いたイラストレーターである。この40年、生活のいろんな場面で松下進氏のイラストが日本人の目に触れてきたので、誰もがどこかで『見たことある。好きだった。あの頃は確か』と思えるはずだ。そんな彼のイラストのすごいところは、70年代に描いたものでさえ新鮮に感じることである。現在、大阪の大丸心斎橋店本館で「夢とこだわりの40年」と題した松下進個展が11/3(火・祝)まで開催中。多くのお客さんで賑わう展示会場に、松下氏を訪ねた。

1978年当時、社会的影響も強かった雑誌『POPEYE』の表紙を飾ったベースボールのイラストが松下進氏の人生を変えた。収入の悪くないイラストレーターが、より大きな仕事がもらえるようにと準備をした結果、世界的イラストレーターへと繋がる一歩をここから踏み出すことになる。

渋谷の在日米軍施設でのアメリカ体験

 「小さい時から絵を描くのが好きで。小学校1・2年生の頃かな、おばがアメリカの軍人さんと結婚して、米軍基地で生活してたんです。旦那さんがコミック好きで、渋谷のその家にはスーパーマンやディズニーなどたくさんのコミックスや本があって、自然に影響を受けましたね。絵を描くのが好きだったので、よく真似して描いてました」とアメコミ風と言われるイラストの源泉を教えてくれた。1950年生まれの松下さんの少年時代には、現在の代々木公園周辺は、ワシントンハイツと呼ばれるアメリカ軍の兵舎や家族の住宅が立ち並ぶ軍用地だった。廃墟から復興しようという当時の東京には、塀で囲まれて日本人が入ることのできない近代的なアメリカの町があった。東京オリンピックが開催された1964年に日本に返還されるまで、都内のど真ん中に在日米軍施設があったわけだ。


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