母子手帳が世界を変える

2016年1月20日

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中村安秀 (なかむら・やすひで)

大阪大学大学院人間科学研究科国際協力学講座 教授

1952年和歌山県生まれ。77年東京大学医学部卒業。都立府中病院小児科、東京都三鷹保健所などを経て、86年から国際協力機構(JICA)の母子保健専門家としてインドネシアに家族連れで赴任。以後も、パキスタンでアフガン難民医療に従事するなど、途上国の保健医療活動に積極的に取り組む。東京大学小児科講師、ハーバード大学公衆衛生大学院研究員、東京大学医学部国際地域保健学助教授を経て、99年10月より現職。「国際協力」「保健医療」「ボランティア」をキーワードに、学際的な視点から市民社会に役立つ研究や教育に携わっている。国際保健、子どもの発達、リプロダクティブヘルスなど興味をもっている分野は広いが、どこの国にいっても子どもがいちばん好き。

母子手帳は日本独自のシステム

 妊娠したら母子健康手帳を受取り、妊婦健診の結果を記入してもらい、赤ちゃんが生まれたら、子どもの体重や身長、予防接種の記録を書いてもらう。 日本ではあたりまえの光景ですが、妊娠中から幼児期までの健康記録をまとめた1冊の手帳をもっている国は世界でも数少ないのです。世界的にみれば、様々な形式の家庭用記録媒体(ホーム・ベースド・レコード)が存在します。米国や英国では、診察記録や成長曲線、予防接種歴を書き込む小児用の冊子が配布されています。 フランスでは、女性健康手帳と、新生児・小児健康手帳は別々に配布されています。しかし、妊娠・出産・子どもの健康の記録が一冊にまとめられていること、 保護者が手元に保管できる形態であることを兼ね備えた母子健康手帳は、日本独自のシステムなのです。

 日本で、妊産婦手帳が開始されたのは、1942年(昭和17年)のことでした。ドイツの「ムッターパス」にヒントを得て、厚生省令第35号「妊産婦手帳規程」が公布され、世界最初の妊婦登録制度の発足と同時に、「妊産婦手帳」が作られました。当時は、物資の乏しい時代だったので、妊産婦手帳をもつ妊婦には、お米や出産用の脱脂綿、砂糖などが特別配給されたといわれています。ただ、時代は、「生めよ殖やせよ」の掛け声さかんな戦時体制。妊産婦手帳のなかの「妊産婦の心得」には、「丈夫ナ子ハ丈夫ナ母カラ生レマス。姙娠中ノ養生ニ心ガケテ立派ナ子ヲ生ミオ國ニツクシマセウ」と書かれていました。

世界で初めて母子を一冊の手帳で管理

1948年の母子手帳

 さて、終戦後、民主主義の時代が始まります。1946年に交付された日本国憲法の第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を 営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と書かれています。そして、 1948年に厚生省告示第26号として「母子手帳」が定められました。妊産婦手帳が妊婦だけを対象としていたのに対し、母子手帳は母と子どもを一体として 健康管理するという観点から生まれました。世界で初めて、母親と子どもを1冊の手帳で管理するという体制ができたのでした。

 当時の母子手帳の表紙にはコウノトリが描かれ、わずか20ページでした。内容は、妊娠中の経過、産後の母の健康状態、誕生までの乳児の健康状態、学校へ行くまでの幼児の健康状態、乳幼児発育平均値のグラフなどがありました。また、「出生届出済証明」の欄も作られました。配給欄の果たす役割は大 きく、全20ページのうち6ページがこれにあてられていました。

 

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