障がい者のサッカー通じて 
初めて向き合えたハンディキャップ

アンプティサッカー平賀智行さん


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

世界最高峰の障害者スポーツ大会『パラリンピック』を目指すアスリートたちの「乗り越えてきた壁」に焦点を当て、スポーツの価値や意義を問うと共に障害者アスリートを取り巻く環境について取材していく。

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「障害者だと考えたこともなかった僕が、日本代表に選ばれて、初めて日の丸背負ったユニフォームを着て『君が代』を聞いたときは、自分は本当に日本代表なんだと鳥肌が立ちました。日本代表というのは特別なものですからね。でも、ゴールキーパーのイスは一つ。代表に選ばれただけでは喜べません。あくまでも『君が代』はセレモニーの話で、ワールドカップでは出場できずに悔しい思いのほうが勝っています。次回のワールドカップでは必ず……」

 アンプティサッカー日本代表のゴールキーパー平賀智行には、嬉しさと苦さの入り混じった日本代表初選出の思い出があった。

アンプティサッカー日本代表の平賀智行さん

 ―アンプティサッカー(切断者のサッカー)とは、事故や病気などによって上肢、下肢の切断障害を持った人たちによって行われるサッカーであり、フィールドプレーヤーは足に障害(主に欠損)を持つ人たちがクラッチ(杖)を軸足としてパスやシュートを放ち、ゴールキーパーは手に障害(主に欠損)を持つ人が、欠損した側の腕以外の全身を使ってゴールを守る競技である。―
(日本アンプティサッカー協会HPの簡易ルール説明

「不自由はない!」工夫すればなんでもできる

 平賀智行 1984年 埼玉県生まれ。

 平賀は生まれながらにして、右手に障害を持っていた。指と手がくっついた状態で生まれたのだ。幼い頃に何度か手と指を切り離す手術を行い、指の骨がなかったところは腰の骨を移植したと平賀は両親から聞いている。しかし、物心がつく前なので手術をしたという曖昧な記憶があるだけだ。

 「僕が生まれたとき、医師からは『長くは生きられないだろう』と告げられたと聞いています。生まれたときに泣かなかったそうですから、それだけ弱かったということです」

 しかし、その後はすくすくと成長し、幼い頃から外で遊ぶことが大好きで、小学生になると放課後、いったんランドセルを家に置きに帰るとすぐに学校に戻って、友達と遊んでいた。

 「小学校に上がる前、給食で使う食器を学校から借りてきて、『小学校ではこれを使って食べるから、使えるようになろう』と練習したことがあったのですが、両親の心配をよそに僕はただ食べるだけなんだから簡単だよと言って、実際使えないこともありませんでした。当時から右手でも物が掴めていましたので、生活する上では何も不自由はなかったのです」

 ジャングルジムやドッジボール、鉄棒、跳び箱など、平賀にできないことは何もなかった。先天性のため、それが自分にとってのごく自然な姿だったのである。たとえ最初はできなくても、工夫すればなんでもできることを幼い頃から理解していた。それが平賀の人間形成の基礎を作った。

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「障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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