万葉から吹く風

2010年1月13日

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辰巳正明

1945年、北海道生まれ。成城大学大学院博士課程満期退学。國學院大學文学部教授。専攻は国文学、東アジア文化論。近著に『折口信夫 東アジア文化と日本学の成立』(笠間書院)などがある。


筑波嶺〔つくばね〕に雪かも降らる否〔いな〕をかも
かなしき児〔こ〕ろが布〔にの〕乾さろかも
                                       
(巻14-3351)

photo:井上博道

 筑波山麓には、こんな歌が流行っていた。山に雪が降ったのかな、それとも愛しい彼女が白い布を干しているのかな、という恋歌だ。東国の歌は、恋歌の世界でもある。

 古代の東国は、都から遠く離れた、野蛮な土地とされていた。東男〔あずまおとこ〕は勇敢で、兵士に適しているというので、防人〔さきもり〕にあてられた。野蛮を勇敢に置き換えられた防人だが、しかし、彼らの歌は父母や妻子、そして故郷との別れを嘆く歌に満ちている。かつて、防人の歌には皇国の民の勇ましさが歌われているといわれたのは、嘘なのである。

父母も花にもがもや草枕
旅は行くとも捧〔ささ〕ごて行かむ
                                  
(巻20-4325)

 父母が花ならこの手に捧げて防人の旅に出ようという、心優しい歌だ。その防人たちがすぐれた歌を詠んだのは、東国の地が歌の文化に満ちていたからである。そうした歌の文化の一端が、冒頭に掲げた筑波地方の流行歌なのである。では、この歌はどのように成立したのか。歌の内容からは、男の自問自答のつぶやきのように聞こえる。しかし、それではこの歌は万葉集に残らない。

 筑波山では、春と秋に大きな歌垣が行われていて、遠く足柄の坂から東の男女が、飲食物を携えて集まったという。おそらく、数万の群衆が筑波の山に満ちたことであろう。歌垣というのは、古代の一大音楽ライブなのだが、それは数日間にわたり男女が恋の歌を歌い合い、その思いを相手に訴える恋の祭典でもある。筑波の山が恋歌の蝉時雨と化す風景を想像するだけでも、言語を絶するだろう。この歌垣の場が、恋歌の誕生する瞬間である。恋歌は、まず公開されるのを原則としている。いかなる秘められた恋も白日のもとに晒されるのだが、とうぜん歌い手もそのことを知っていて、秘められた恋の思いを歌う。

 そうすると、恋歌というのは、もう一人の私がいて、わが心を歌うということであり、それは冒頭の歌のように全員が共有する歌なのである。そうした歌垣文化が、豊かな東国の歌の世界を育んだ。労働や遊楽の場、あるいは市場で、歌垣で学んだ歌の技法を用い、気の利いた歌は、全員の共有する名歌となった。

 万葉集の東歌も防人歌も、こうした東国の歌垣文化の産物であった。
                                                    

◆「ひととき」2010年1月号より


 

 


 

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