オトナの教養 週末の一冊

2017年4月28日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

――本書でもさまざまな息子介護者へインタビュー調査を行っていますが、息子介護を上手く行うにはどういう点が大切なのでしょうか?

平山:多くの男性は、自分ひとりで介護を行うことが責任感の強さだと思い込んでいる傾向があります。少なくともケアに関してはそれは当てはまりません。ケアというのは、一人で生きていけない依存的な存在の生活を支えることです。ケアされる立場からすれば、依存先が多くあったほうが生き残れる可能性は高いわけです。しかし、たった一人がケアを担う状況では、その人がもし倒れたりするとケアを受ける側も直ちに生きていけなくなる可能性が高いのです。

 ですから、ケアにおいては、ケアの受け手にとっての依存先を増やすことが一つの目標になります。自分一人でがんばるのではなく、多くの人を巻き込むほうがケアは成り立ちやすいと言えます。だとすれば、他の人にどれだけ助けを求められるかが、男性介護がうまくいくかどうかの分岐点の1つになります。

――本書では息子介護そのもの以外にも、男性学に対しても多くのページを割いていますね。

平山:「息子としての自分を語らない男性」の他に、男性学に対する違和感も本書執筆の動機の1つです。

 男性学では、男性はフルタイム労働に従事し家族を養う稼ぎ手としての役割を果たさなくてはならず、そうしたプレッシャーに常に晒されているとよく指摘されます。女性が社会から「女らしさ」を要請されるのと同じく、男性も社会からそうした役割を要請されていると。つまり、男女ともに社会から「男らしさ」「女らしさ」のプレッシャーを受けているという意味では同じ「被害者」である、という主張を男性学のなかによく見かけます。

 この主張が欺瞞であることは、これを社会階級の問題に置き換えてみれば明らかです。たとえば、生まれながらにして裕福で、教育機会にも恵まれ、安定した収入源を持っている人と、それらすべてを奪われており、常に生活不安に苛まれている人にわかれた格差社会を考えてみてください。もし前者の人々が「私も『富める者』として生きていくためのプレッシャーを社会から受けている。だから、この格差社会の中では私も被害者なんだ」と主張したら、ほとんどの人は頭に来ますよね。

 男性もまた「被害者」である、という主張には、これに似たところがあります。人口全体で見れば、教育機会でも就労機会でも女性の方が不利益を被っているのは、統計的な事実です。そもそも就労役割と結びついた「男らしさ」は、経済基盤を確立させよ、というプレッシャーなのに対し、家族の世話を最優先にせよ、という「女らしさ」のプレッシャーは、逆に就労を断念させるために働きます。生きるための経済基盤を築くのに安定した就労は不可欠ですから、どちらのプレッシャーが生存を難しくさせるかは明らかでしょう。

 最近、女性差別に対して男性差別を訴える声も出てきました。しかし、ここで考えてほしいのは、女性差別の訴えは「男性中心社会」に対する告発であるということです。これに対し、男性差別が「女性中心社会」だから起こっているかといえば、そんなはずはありません。なぜなら、これまで社会で女性が、男性ほどに社会における意思決定権を握ったことはないからです。決定権を有する地位のほとんどをいまだに男性が占めている社会で、男性が不利益を被っているとすれば、それは女性のせいなどではなく、社会の意思決定をしてきた男性たちのせいでしょう。

 最近の男性学は、男性と女性の対称性を強調しすぎているように思うんです。その矛盾を本書を通して照射出来ればと思いました。

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