その境内に、過去にこの地を襲った津波の被害者を弔う慰霊碑が、長年の風雪にさらされて判読できない石碑も含み何本も並んでいました。
それらの石碑で判読できたのは、「弔 海嘯(かいしょう、津波のこと)溺死霊の碑 昭和八年」や「弔 海嘯赤痢 明治三十三年」の2つでした。
私は思いました。
「過去に津波や津波後に発生した赤痢などの悲劇が繰り返されても、生き残った住民らは同じ場所で生きてきたんだなぁ」ということを。
それだけ、地域=今風に言うとコミュニティを愛していたんだなぁと。
もちろん、恐怖におびえながらの苦渋の選択であったであろうことは想像できます。
だからこそ「高台に移転すれば……」などを、外部者は言ってはいけないんだ、と思いました。
たくさんの「人幸」を
「天災は、忘れたころにやってくる」とのことわざがありますが、天災の被害を小さくする「減災」が今問われています。できることは何でも実践したいと思います。
同時に、戦争やテロや原発事故などの「人災」は、戦後70年の年であるだけに、人類の英知によりなんとしてでもなくさなければなりません。
今年は3月には人災による地下鉄サリン事件の報道が、夏にはもっとも大きな人災である戦争報道が続くでしょう。
そんなこんなを考えたお正月でした。
ところで、塩分があって池には使えない井戸水の代替え案があります。
それは、「校舎屋上からの雨水を溜めて田んぼや池の水に利用して水道代をうかそうよ!」です。そのための貯水タンクも2つすでに確保していますから。
こんな、人々が幸せになる「人幸(じんさい。私の造語)」も、秋津コミュニティではやっちゃうんです。
では次回まで、アディオス! アミ~ゴ!
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