「日本一高い雪捨て場」と揶揄されていた岩手県紫波町の駅前。それが、年間30万人以上の人が利用するマルシェや図書館に生まれ変わった。そこには社会人大学院で出会った人たちの知恵とネットワークが活かされている。
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岩手県の盛岡と花巻のちょうど中間、JR東北本線に「紫波中央」という平成になってできた駅がある。人口3万3000人余りの紫波町の中心部近くに駅を作って欲しいという住民の要望で、2億6000万円余りの寄付を集めてようやく設置された。1998年のことだ。
駅前には町が県の住宅供給公社から28億円余りで購入した10.7ヘクタールに及ぶ広大な町有地が広がっていたが、駅ができても10年以上の間、手つかずのままだった。ご多分に漏れず公共事業の削減と町の財政悪化によって、開発のメドが立たなくなっていたのである。
「日本一高い雪捨て場」。冬場に町内の雪を捨てていたことから、町民からはそう揶揄する声が上がっていた。
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そんな紫波町のお荷物が動き出すきっかけは、東洋大学の社会人大学院だった。同大学が日本で初めて設置した「公民連携専攻」での“出会い”が町づくりプロジェクトに発展したのである。公民連携とはPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)と呼ばれるもので、民間ができる事は民間に委ね、官がやるべき事は官が責任をもってやるという考え方。
その社会人大学院に、2006年秋、紫波町に本拠を置く建設業、岡崎建設の岡崎正信さんが入学した。岡崎さんは大学卒業後、地域振興整備公団(現在の都市再生機構)に勤めていたが、創業者だった父親が亡くなった後、社長を継いだ母親を支えるために、公団を辞めて地元に戻った。国土交通省に出向経験もあった岡崎さんは、公共事業に依存してきた岡崎建設は、ジリ貧になるという強い危機感を抱いた。
「人が作った仕事が降ってくるのを、口をあけて待っている従来型の公共事業依存ではもうやっていけない。中小企業でも、自分で仕事を作る会社にならなければ」
そう考えていた岡崎さんは、地元自治体にプロジェクトを提案できるような建設会社に脱皮させようと、大学院に通うことにしたのだ。担当の根本祐二教授を前々から知っていたことも決断するきっかけになった。