文化力
―日本の底力
川勝平太 著
日本は明治維新で近代国家システムによる国づくりをはじめ、富国強兵を国是とし、明治~昭和前期には軍事力に、昭和後期からは経済力に国の総合力を結集してきました。その結果、西洋諸国からは一目おかれ、アジア諸国からは憧れられる先進国になりました。
一方、敗戦を経験して、軍事立国のアナクロニズムを認識し、経済立国も心を豊かにするとは限らないことは経験済みです。軍事大国化も経済大国化も、国の「品格」を高めるものではなく、将来の国家目標にはならないことが明らかになりました。
富国強兵の功罪が明らかになった今、それに代わる新しい国づくりの戦略を練る過渡期に入りました。立ち返るべきは「和」を重んじる国是の根本原理ではないでしょうか。二十一世紀の国際社会の課題の一つは、「文明の衝突」を避け、「文明の対話」「多文明の共存」をはかることです。東アジアに調和型文明を実現すれば、その回答になります。
日本文化の歴史を通底する「和」に軸心をおき、和を基調とする新しい文明圏をどう築くのか。東アジアにおける調和型文明の実現は、現代日本に求められている新しい実践的課題であり、本書はその課題に一つの回答を与えようとする、新たなる日本論の決定版といえるでしょう。
<書籍データ>
◇四六判上製・432頁
◇定価:本体2,400円+税
◇2006年9月20日発売
◇ISBN: 4-900594-94-6
<著者プロフィール>
川勝平太(かわかつ・へいた)
国際日本文化研究センター教授。1948年京都生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業、同大学院経済学研究科修了。オックスフォード大学哲学博士。早稲田大学で日本経済史を、オックスフォード大学でイギリス経済史を学ぶ。比較経済史専攻。 早稲田大学大学院在学中に、日本産業革命に関する、内外の綿関連製品の品質と価格についての論文を発表。明治期にイギリスの輸入綿製品が国内綿製品より価格が安いにもかかわらず、日本の市場を席巻できなかった事実をほりおこす。この実証から、余りにも経済中心的な従来の定説に対して、非経済的・文化的要因を組み込んだ、日本の工業化についてのあらたなパラダイムを提出、これが川勝理論の原点である。早稲田大学政治経済学部教授を経て、1998年より国際日本文化研究センター教授、現在、NIRA(総合研究開発機構)理事を兼ねる。 主著に『日本文明と近代西洋――「鎖国」再考』(1991年 NHKブックス)『富国有徳論』(1995年 紀伊國屋書店、のち中公文庫)『文明の海洋史観』(1997年 中公叢書)『経済史入門』(2003年 日経文庫)など。
本書は、日本の潜在力をさまざまな角度からさぐったものです。その目的は、日本が東アジア地域ひいては地球社会に対して、何をもって貢献するのが日本の国柄を発揮することになるのか、その指針をさぐりあてることです。日本の国柄をさぐり、その潜在力をひきだし、その底力を発揮するにはどうすればよいのか、これが全編を支える問題意識です。
吉野の桜が満開の頃、その景観は息をのむほどすばらしく、見るものの心は華やぎます。無情の春の嵐に全山の桜が散りゆくさまには哀れの風情があり、心を洗います。その山奥に、天然記念物に指定されているオオヤマレンゲという白い可憐な花が咲きます。命はみじかく、わずか三日。清楚なすがたをひめやかに見せたと思うまもなく、跡形もありません。「天女の花」の別名をもちます。天女は、三保の松原では霓裳羽衣の曲にのって春霞のかなた富士山頂に舞いあがり、紀伊山地では舞い降りて花となるのでしょう。 四季の織り成す自然景観の芸術である紀伊山地は、那智の滝では人々が手を合わせ、季節がくると「天女の花」をむかえるなど、人間の心と神々の精とが交錯する場です。神仏習合が一千年余にわたって息づいており、それが「文化的景観」という言葉でとらえられ、二〇〇四年に世界文化遺産になりました。文化力の時代 紀伊山地の霊場(吉野・大峯、熊野三山、高野山)と、そこにいたる参詣道(大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道)は、それらをつつむ山岳、森林、河川、海辺など紀伊山地の自然がなければ、まったく存在意義がありません。むしろ霊場や参詣道は、紀伊山地の自然に依拠してつくられたものであって、紀伊山地の自然は、それがなければ、そもそも霊場も参詣道もなりたちえない本質的なものです。山岳信仰、大樹・岩盤・大滝への信仰、補陀落渡海などがそれを示しています。
世界遺産に責任をもつユネスコの委員が、紀伊山地の深山幽谷の景観に日本人の自然信仰を感得しました。自然への信仰と深山幽谷の魅力とが一体のものとみなされたのです。日本人の心をやどした自然がついに「文化力」を発揮し、それが「文化的景観」という言葉を獲得して世界遺産になりました。その潮流を受けて、日本政府は同年に文化財保護法を改正し、すぐれた景観地を「文化的景観」として文化財にすることにしました。景観が、世界でも国内でも、文化財になる時代になったのです。なかでも、特にすぐれたものを「重要文化的景観」とし、二〇〇六年に近江八幡の水郷を初の「重要文化的景観」にえらびました。「文化的景観」という言葉にあらためて注目したいと思います。景観に文化を認めたことが画期的です。自然を、単なる環境とは見ずに、人の心の働きを宿したものとみなしたのです。自然景観のうちに「聖なるものの働き」を認めたことでも画期的です。つまり人間と自然との心の交流の重要性が認識されたのです。これまでは、人間が手を加えた優品が文化財となりました。しかし、これからは、人間の心の働きを宿し、聖なるものの存在を感得させる自然も文化財です。人間が心を通わせ、畏れ、賛嘆し、感動する自然は、聖なる文化的景観であり、破壊の対象にはなりません。文化的景観の設定は、地球環境の保全のための有力なひとつの方法です。
しかし、各地の優れた景観を顕彰するだけでは、やることが小さすぎます。それを国土全体の景観保全にいかすだけでなく、すべての地域の活性化に活用するべきです。そして、地域づくりをとおした国づくりに、文化的景観の観点をとりいれ、日本各地の自然の文化力をひきだすべきときでしょう。日本は島国で、南北三〇〇〇キロの間に、六八五二の島々が、弧(アーク)状に広がっています。その文化的景観の理想像を、ひとことでいえば、「庭園の島(ガーデンアイランズ)」です。日本列島が、西太平洋の多島海の一角に、美しい島々からなるガーデンのごとき魅力ある憧れのたたずまいに変わるとき、それは日本列島が美しい「水の惑星」地球の雛形になるときでしょう。近代日本の列島の景観は、都市景観で代表されてきました。都市は乱開発され、人々が集住して自然が破壊された地域です。それゆえ都市の再生は不可避です。しかし、都市再生だけでなく、日本列島を広く見渡し、列島全体のもつ底力を発揮させるにはどうすればよいのかを考えねばなりません。「ガーデンアイランズ」という理想的な日本の文化的景観を念頭におき、地域分権の潮流に棹差しながら、おもいきって地域分けをしてみましょう。
さしあたって、前提になるのは国土計画の遺産です。国土計画はこれまで五回策定され、五度目の「二十一世紀の国土のグランドデザイン」(一九九八年策定)は、歴史・風土・文化などを考慮して、四つの国土軸(北東・西日本・日本海・太平洋新国土軸)を呈示しました。国土を四つに分けるという構想を念頭におきながら、あらたに「文化的景観」を取りいれると、つぎの四つになるはずです。 首都圏の文化的景観は、日本最大の関東平野に展開しているので「野」といえます。中部地方はアルプス・富士・箱根を擁するので「山」です。西日本は瀬戸内海を取り囲むので「海」です。そして、北海道・東北は縄文文化の息づく「森」です。文化的景観を軸にすれば、ガーデンアイランズの日本列島は「野の洲」「山の洲」「海の洲」「森の洲」の四洲に分けられます。GDP(国内総生産)で見れば、野の洲はフランス、山の洲はカナダ、海の洲はイギリス、森の洲はカナダにひけをとりません。どの洲も先進国の経済力をもっているということです。それゆえ、そこでは先進国経営のノウハウがいります。各洲に、中央に集中している権限(仕事)、財源(カネ)のみならず人材(ヒト)を「三位一体」として委譲すれば、中央政府のエリートたちは、新しい国づくりに向けて、実力を発揮しうるでしょう。それは「美しい日本」建設の道です。(続きは本書でお読みください)
<目次>
序 日本の潜在力をさぐる立ち読み
第1章 パクス・ヤポニカを拓く
・女のルネサンス
・美のルネサンス
・森のルネサンス
・文化力の時代
第2章 近代世界システムと日本
・西洋の覇権国家の変遷
・ヨーロッパの軍拡と日本の軍縮
第3章 日本文明の底力
・日本文明論の試み
・物産複合から見る文明システム
・鎖国と近代世界システム
・徳治主義と覇権主義
・日本文明の特質
文明をめぐって専門分野の異なる四人の識者との対談
・梅棹忠夫氏との対談『文明の「生態史観」と「海洋史観」』
・入江隆則氏との対談『近代世界システムから江戸システムへ』
・三浦雅士氏との対談『浮上する海洋アジア』
・伊東俊太郎氏との対談『美しい地球を支える美しい日本』
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