菅原道真―詩人の運命
藤原克己 著
没後1100年、今よみがえる悲劇の詩人・道真の魂――。
天神さまとして祀られ、文芸の守護神、学問の神様として崇敬されてきた菅原道真。
学者・文人の家に生まれて、右大臣にまで昇進しながら、突如大宰府に左遷され、延喜三年(九〇三)にその地で没してしまった悲劇的な生涯。
過酷な宿命に生きた道真の事績をたどりながら、折々に詠まれた彼の漢詩を通してその生涯と人となりを生き生きと浮かび上がらせる待望の評伝です。
『――詩だけが、私の末期までの道連れだ。』
<書籍データ>
◇B6判並製、312頁
◇定価:本体1,200円+税
◇2002年9月28日発行
<著者プロフィール>
藤原克己(ふじわら・かつみ)
東京大学大学院人文社会系研究科助教授。1976年東京大学文学部国文学専修過程卒業。
東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻博士過程退学。岡山大学助教授、神戸大学助教授を経て現職。菅原道真、古今和歌集、源氏物語を中心に、平安朝の和漢の文学を研究。著書に『菅原道真と平安朝漢文学』(東京大学出版会)がある。
■はじめに 何のための詩人か
・(中略)それにしても、詩人とはいったい何者なのでしょう?
中国では古来「詩人薄命」ということが言われました。詩人は薄命、すなわち不遇困窮のうちにその生涯を終える者が多い、というのです。それに対して、やはり中国の文人で欧陽脩(1007~1072)という人がたいへん面白いことを言っています。「詩の能く人を窮せしむるには非ず。殆らくは窮する者にして後めて工みなるなり」(「梅聖兪詩集序」)。つまり、詩人と不遇困窮の運命との因果関係を逆転させたわけです。世間では、詩人は不遇困窮に陥るものが多いと言うが、そうじゃない。不遇困窮の境遇のなかからこそ、真に人の心を打つすぐれた詩が生まれるのだ。いわば、不遇困窮が大詩人を生むのだ、というのが欧陽脩の説です。みなさんはどう思われますか?
私はこの説に半ば賛同し、半ば賛同しません。賛同しない理由は二つあります。一つは、不遇困窮に陥れば誰でもすぐれた詩が書けるわけではないだろう、ということによります。詩人はやはり生まれながらにして詩人なのであって、天からある特殊な能力と習性を負わされた――そうです、それは「授けられた」というよりも、詩人自身もそれから逃れ得ないようなかたちで、まさに「負わされた」というのがふさわしいのですが、そのような特別な人種だという気がしてならないのです。そして欧陽脩の説に私が賛同できない理由のいま一つは、詩人が天から負わされた資質が、その悲劇的な生涯を宿命的に招き寄せてしまう、ということがあるように思われることです。彼が詩人であることと、その高貴な没落の運命とが、ある不可分なかたちをなしているような、そういう詩人が存在する。菅原道真は、まさにそのような詩人であるように私には思われるのであります。
最後にもう一つ、大宰府で詠まれた詩にふれておきたいと思います。「楽天の北窓三友の詩を読む」(『菅家後集』)と題された詩です。この詩のなかで道真は次のように言っています。白楽天(居易)はその「北窓三友」(『白氏文集』巻六十二)という詩のなかで、詩と琴と酒の三つを三友と呼んだが、自分は琴も弾けないし、酒も飲めない。「詩友独り留まりて真に死友」、自分にとってはただ詩だけが、末期までの唯一の友である、と。まことに道真は、その生涯の最後の時まで詩を手放しませんでした。しかもその詩には、繊細多感な生粋の詩人の個性が、肌にふれるように生き生きと息づいています。私が本書で、道真の詩をできるだけていねいに読みたいと思うゆえんです。(続きは本書でお読みください)
<目次>
はじめに 何のための詩人か
第一章 時代の流れ
一 平安京前史 桓武天皇と菅原氏
二 平安新京と嵯峨朝の漢文学
三 承和以後の時代の流れ
第二章 文章博士になるまで
一 詩人の誕生
二 文章博士への道
第三章 讃岐守時代
一 詩人の倫理
二 阿衡の紛議
第四章 栄光と没落の軌跡
一 前奏曲
二 栄達
三 孤立、そして破局
四 流謫の歌
全国の主要天神・変わり天神社
菅原道真略年譜
後 記
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