使えない上司・使えない部下

2017年9月11日

»著者プロフィール

 今回は、ブリヂストンスポーツに勤務するかたわら、母校・慶應義塾大学の体育会女子ハンドボール部の監督を務める家村佳那さんを取材した。2016年に就任以降、学生たちの自主性を尊重したチームづくりを意欲的に続ける。

 2001年の創部以来の初の女性監督として、高学歴女子の選手を率いて日々、奮闘する家村監督にとって「使える選手、使えない選手」とは…。

学生たちに話しかける家村佳那さん

 我々の部は、大学卒業後にプロや実業団などの選手になることを目標に活動しているわけではなく、社会人になっていくうえでの基礎づくりをする場だと私は思っています。慶應義塾大学にはほかの大学のような、いわゆる「スポーツ推薦」の制度がないのです。我々の部は現在、部員が17人いますが、中学や高校の頃にハンドボールをしてきた学生もいれば、そうではない学生もいます。

 ハンドボールに限らないと思いますが、「スポーツ推薦」で大学に入学した学生がたくさんいる部は、選手やチームのレベルが総じて高いのです。体育会女子ハンドボール部にも「早慶戦」があります。早稲田大学の体育会女子ハンドボール部は、カテゴリー別日本代表に選出される学生がいることもあり、強いチームです。私たちと力の差はありますが、勝つことができるようにがんばっています。

 私は、高校1年のときにハンドボールを始めました。一般入試で2002年に法学部(政治学科)に入学し、卒業する06年まで選手として在籍していました。同期は1人で、マネージャーをしていましたので、4年のときには私が必然的にキャプテンになるのです…(苦笑)。07年からはブリヂストンスポーツに勤務するかたわら、週末などにコーチとして後輩の指導・育成に関わってきました。

 監督になったのは、2016年です。前任の監督の推薦で就任したのですが、当初は少し重荷かなと思いました。前任の監督が、学生をぐいぐいと引っ張っていくタイプでした。チームがしだいに出来上がり、学生との間に信頼関係がつくられてきた頃です。そのときに監督になることに戸惑いがあったのです。

 コーチは2007年から2014年までしてきましたが、やはり、監督とコーチは違います。コーチの頃はチーム全体のことも意識していましたが、各々の選手に対し、アドバイスなどをすることが多かったのです。こういうチームをつくろう、と明確にはあまり考えてはいませんでした。監督になると、チームをつくっていく立場になります。常にチーム全体のことを思い、選手である学生を指導し、育成します。そこに難しさを感じています。

 私が心掛けていることは、学生たちの、学生たちによるチームをつくること。監督のためのチームではないのです。私は「スポーツ推薦」で入学した学生で構成されるチームや、プロや実業団の監督ではありません。もちろん、監督として様々な意味において責任がありますが、練習や試合においては、彼女たちをサポートする立場でしかないのです。彼女らが自ら目標を立て、それを達成するために練習や試合をする。それを手助けするのが、私がするべきことです。

 たとえば、学生たちには、こんなことを問いかけるようにしています。「みんなの目標は、こうだったでしょう? そのために、今、こういうことをしているのに、違う方向に向かっているよ。これでいいの?」

 彼女たちが考え、決めたことは尊重したいと考えています。自分たちが考え、立てた目標を達成できたらうれしいでしょう。私も楽しくなります。私は、彼女たちがやがては社会人として活躍できるように、自ら考えて動く力を身につけることができるように導きたいのです。

 監督である自分が決めたレールの上を走れ! と命じるのではなく、レールを上手く走れるようにリードしていくことを特に心掛けています。そのレールは、彼女たちが私と一緒に考え、敷いたものです。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る