足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年12月31日

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足立倫行 (あだち・のりゆき)

ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『血脈の日本古代史』(ベスト新書)『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

 「えー、それでは皆さん全員、もう1回救命処置を順番にやってください」
 
 制服姿の消防隊員はひざまづくと、我々9人全員の顔を見渡して言った。

 「さっきと同じことをやるんですか?」

 「はい、そうです」

 自宅近くの集会所。20畳ほどの和室でマンションの自治会主催の〈普通救命講習〉が行われていた。3班に分かれた参加者は、総勢30名、圧倒的に中・高年である。

(wellphoto/iStock)

 私と妻と娘はマンションの住民ではないが、隣り合う自治会なので参加を申し込んだ。
 
 私と妻は60代、娘も持病があるので、「万一の緊急時」のため、この機会に正規の救命処置法を習っておこうというわけだ。

 車座になって座った9人の真ん中に、上半身だけの裸の男のゴム人形?(両腕はない)が置いてある。練習用の人体モデルだ。

 心肺停止の際の救命処置の7つの手順はマニュアル化されている。①現場の安全確認、②傷病者の反応確認、③(反応がなければ)周囲の人を呼び、119番通報とAED(自動体外式除細動器)持参を依頼する……。

 「周囲に誰もいなければ自分で119番をしますが、次の④呼吸なし、を確認したらすぐに⑤胸骨圧迫を開始して下さい」

 心肺蘇生のためには何よりも胸骨圧迫を続けることが大切、と1巡目で習っていた。

 両掌を組んで、両肘を伸ばし、傷病者の胸の中央部にリズミカルに体重をかける。1分間に100〜120回のテンポで、胸が約5センチ沈むくらい。

 「もっと速く! それじゃ遅いわよ」

 娘は別班だが、妻は私と同じ班なので、私の番になると遠慮なくツッコミを入れてくる。同年輩の他の男性陣と比べても、自分ではさほどのろいと思っていなかったのに。真上からでなく、慌てて斜めから圧迫すると折れやすい由。

 「あの、小柄な人やご老人で、胸骨圧迫により骨折もあるって聞いたんですが?」

 誰かが指導役の消防隊員に尋ねた。

 「あります。私も経験があります。でも、中断せずに続けて下さい」

 「骨が折れてもいいんですか?」
 
 「いいです。胸の骨が折れることよりも、生命のほうが大事です。救命処置中の骨折で、救助者の法的責任は問われませんので」

 ついで⑥人工呼吸。AEDの到着まで、胸骨圧迫30回と人工呼吸2回を繰り返す。

 倒れている傷病者の頭をのけぞらせ、顎先を指で上げ、気道を確保する。ガーゼ付きビニールを相手の口の上に乗せ、相手の鼻をつまみ、口の中へと息を吹き込む。約1秒。

 「これ、やらないとダメですか? 普通はガーゼとか持ってないし、相手の状態によっては、口と口は勘弁してほしい気が……」

 今度は私が質問した。

 「人工呼吸は省略してもOKです。意思と技術があればやって下さい。ただ人工呼吸は省いても、胸骨圧迫だけは続けて下さいね。」

 私は頷いて、ゴム人形の唇にガーゼ越しのキスをした。

 「あ、そうではなく、もっと口を開いて、相手の口を覆うように息を吹き込んで」

 注意されて気がついた。私のただ一度の救命処置体験の人工呼吸は間違っていた、と。

 7年前のクリスマス・イブのことだ。

 夜中にパジャマ姿の母が、当時実家と隣接していた我が家にやってきて「お父さんの様子が変なんだけど」と訴えた。

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