赤坂英一の野球丸

2018年5月23日

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 昔の広島市民球場跡地の敷地に、衣笠祥雄さんの通算連続試合出場記録(2215)を記念した石碑がある。先月23日に鉄人が71歳で亡くなってからほぼ1カ月、いまなおここに供えられる花が絶えない。

 広島県福山市の〈松永はきもの資料館〉では、衣笠さんが現役生活最後の試合で使ったスパイクやバットが展示されている。そんな記念の催しやゆかりの場所に地元のファンが足を運んでいるのも、衣笠さんが広島カープ一筋に生きた野球人だったからこそだろう。

1996年、2216試合連続出場を達成したボルティモア・オリオールズのカル・リプケン選手の試合に招待された衣笠氏(REUTERS/AFLO)

 NHKでは、連続試合出場記録のドキュメンタリー、1986年に〈NHK特集〉で放送された『17年間休まなかった男~衣笠祥雄の野球人生~』が再放送された。カメラが広島市内の衣笠邸に入り、衣笠さんが正子夫人と談笑しながら紅茶を飲んでいる場面が微笑ましくも懐かしい。その中で、おや、と思わされた衣笠さんのセリフがあった。

 「ぼく、家ではスポーツ新聞を読まない。外では読むけど。スポーツ新聞を(家で)取ると、野球に追っかけられるような気がする。それが嫌なのよ。一般紙は、政治とか経済、三面記事とか読んでると、野球を連想させるものが何もない。野球と全然関係ない世界だから、(読んでいて)ホッとするんだよね」

 衣笠さんは、家の中まで「野球に追っかけられ」たくなかった。誰よりも練習熱心で、試合に出ることにこだわり続けながら、家庭と野球をしっかり切り離していたのだ。ひょっとしたら、1986年の引退後32年間、ついに一度も指導者としてユニフォームを着なかったのは、これが最も大きな理由だったのかもしれない。選手でなくなった以上、野球に「追っかけられ」たくなかったのではないか。

 このドキュメンタリーには、「衣笠選手の身体について本人以上に知り尽くしている」盟友として、球団トレーナーの福永富雄さんが登場する。今年で勤続55年目、選手や首脳陣から尊敬の念を込めて「福永先生」と呼ばれ、現在もトレーナー部アドバイザーとして選手のケアと治療に尽力するカープの〝主治医〟とも言うべき人物だ。語り草になっている旧広島市民球場での巨人戦(1979年8月1日)で、衣笠さんが西本聖の死球で左の肩甲骨を骨折した直後の映像には、深刻な表情で寄り添う福永さんの姿も映っている。

 このとき、衣笠さんが思わず漏らした本音を、福永さんはいまもよく覚えているという。誰よりも我慢強く、数々のケガや痛みに耐え続けてきた鉄人が、このときだけは「いつもと感じが違う」と訴えたからだ。

 救急車で担ぎ込まれた広島市内の病院で、衣笠さんは「肩が上がらん」と呻いた。これで連続試合出場記録も途切れてしまうのかと福永さんが危ぶんでいた明くる日、衣笠さんから電話がかかってくる。意外にも明るい声で、「朝起きたら、肩が上がっとったわ」と言うのだ。寝ている間、無意識に上がらないはずの肩を上げたらしく、その格好のままで目覚めた、と。その夜の巨人戦は代打で出場して江川卓と対戦し、3球連続フルスイングして空振り三振。衣笠さんならではの逸話である。

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