赤坂英一の野球丸

2018年5月2日

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 今年ほど、「昭和のプロ野球」が遠のいたことを痛感させられた年はない。1月に星野仙一さんが膵臓がん、4月に衣笠祥雄さんが上行結腸がんで相次いで死去。ふたりは同い年で、星野さんが1947年1月18日生まれ、衣笠さんが同年1月22日生まれと、誕生日も僅か4日違いだった。選手時代、星野さんは中日、衣笠さんは広島の中心選手。そして、亡くなったのも同じ今年、死因が同じ病気であることに、何か因縁めいたものを感じるのは私だけだろうか。

(Ivary/iStock)

 星野さんと衣笠さんは若いころ、球場で顔を合わせれば、親しく談笑する間柄だった。衣笠さんが当時現役選手として初めてかつら(アートネイチャー)のCMに出演した1984年ごろのこと。ある日の試合前、打撃ケージの後ろでフリー打撃の順番を待っていたら、解説者になっていた星野さん(82年引退)が背後から忍び寄り、衣笠さんのかぶっていた赤いヘルメットをスポッと脱がせた。

 驚いて振り返り、「何するんだよ」と言う衣笠さんに、星野さんは「このヘルメット、てっぺんを取って頭を出したらええやないか。そしたらかつらのええ宣伝になるぞ」とニヤリ。この場面は星野さんの出演していたテレビ番組でも放送されたが、試合について解説する段になると、星野さんは衣笠さんを絶賛。とくに、頭上を越えそうなライナー性の打球をジャンピングキャッチした三塁守備の映像を指して、「これを見てください! 30代後半の選手のプレーじゃありません! 衣笠だからできるんですよ!」と声高に強調していたことが忘れられない。

 そんな星野さんと衣笠さんについて、球界では2000年代初め、コミッショナーになってはどうかという声が聞かれた。発端となったのは、当時の星野さんのこんな発言である。

「コミッショナーのような球界のトップには、現場のことをよく知っているユニホーム組が就任したほうがいい。どれほど立派な肩書きを持っていても、野球の素人に球界の舵取り役は務まらないだろう。将来的には長嶋(茂雄=現巨人終身名誉監督)さんがコミッショナーになって、おれがセ・リーグ会長をやるのがベストじゃないか」

 当時のプロ野球界ではコミッショナーの下にセ・パ両リーグ会長が置かれ、レギュラーシーズンや日本シリーズの日程、両リーグにまたがる懸案事項などが協議されていた(両リーグ会長は2008年を最後に廃止)。これらの要職は歴代、法曹界や政財界から招かれるのが慣例となっているが、週に数度の出勤、年収2400万円程度と言われる条件が魅力に乏しいのか、球界側がこれはと見込んだ人物ほど招聘に失敗しているケースが多い。

 現に、第11代コミッショナー・根來泰周氏(元東京高検検事長、元公正取引委員会委員長)が退任した07年1月以降は、後任探しが著しく難航。あげく、08年6月まで約1年半にわたって球界トップが不在となり、コミッショナー代行が置かれるという〝異常事態〟となっている。

 どのような人物がコミッショナーにふさわしいのか、12球団のオーナーの間でも見解が分かれており、14年にセ・リーグ側が元最高検察庁公安部長・熊崎勝彦氏を推挙したときも、パ・リーグ側から反発する声があがった。その急先鋒が楽天・三木谷浩史オーナーで、「これからの時代はもっとビジネスに明るい財界出身のリーダーこそ必要」だとしてセ・リーグ側と衝突。結局、パ・リーグ側が対立候補を立てることができず、熊崎氏が第13代コミッショナーとなった経緯がある。

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