迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年7月4日

»著者プロフィール
著者
閉じる

立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

 終身雇用制度はかつて日本経済の繁栄を裏付ける社会的基盤として賛美、謳歌されてきた。いざ崩壊のカウントダウンに入ってみると、その「副作用」ないし「有害性」がじわじわと表面化してきた(参照:『「終身雇用」に奪われたもの、日本人サラリーマンの3大悲劇』)。この難しい時代をどう乗り越えるか。その課題の数々を整理しながら、解を求めていきたいと思う。

(frema/gettyimages)

「終身雇用制度」という「OS」の崩壊

 日本型の組織を支えてきたのは、終身雇用制度である。あるいは、その逆なのかもしれないが、いずれにしてもこの二者の関係は不可分であった。終身雇用制度が崩壊すれば、日本型組織は無傷ではいられない。ある意味で日本型組織の存続がかなり困難になると見るべきだろう。

 ただ日本型組織が崩壊した場合、日本企業はどのような組織に変わるのだろうか。非日本型組織とでも言うべきだろうか。日本企業はやはり日本企業であり続けるだろうから、そうした意味で、従来の日本型組織が崩壊し、新たな形の日本型組織に生まれ変わると言ったほうが妥当であろう。拙稿は表現上、従来型の「日本型組織」と区別して、将来型を「新日本型組織」と称する。

 終身雇用制度の下で、日本企業の組織は共同体として強いプレゼンスをを持っていた。ミニ版の社会と言っても過言ではない。大方の日本人は「社会人」である以前に「会社人」にならざるを得なかった。あるいは、「社会人」と「会社人」の同一化が定着したとも言える。終身雇用の終焉は、会社からの離脱よりも、社会による排斥に近い恐怖感を与えているのも、その証左である。会社の存在が肥大化すると、「会社のためなら」何をやっても正当化され(多くの不祥事に見られているように)、また個人を犠牲にすることも正当化されてきた。

 日本型組織に求められる「組織内」人材の第一義的な要件は、その企業組織への適合性である。これは決して間違っていない。従来の日本社会全体に終身雇用制度が基盤的システムとして組み込まれていたからだ。日本社会にとって、終身雇用制度は「アプリ」ではなく、「OS」なのだ。故に企業組織の最適化はある意味で社会の最適化に直結するという文脈から、日本企業による組織仕様の「人材育成」も必然的帰結となる。

 今、終身雇用という「OS」が使えなくなり、「非終身雇用」という新たな「OS」が構築されようとしている。そこで、旧OSに機能してきたアプリは、新OSにそのままインストールできないという大問題に直面している。

関連記事

新着記事

»もっと見る