2024年4月20日(土)

安保激変

2012年7月23日

 事故の当日や翌日は「事故があった」という事実とともに、事故が起こった際の状況などに関する報道が新聞、テレビ、ラジオなどでされているが、それ以降は事故原因について国防総省側が何かコメントしたときぐらいしか話題になっていない。たとえば、今月11日の緊急着陸も、当日や翌日のラジオでは、「オスプレイがノースカロライナの民間空港に緊急着陸しました」というニュースが流れていたが、翌日以降はほとんど関心を集めていない。

 なぜか。理由はいくつか考えられる。ひとつは、オスプレイは実戦配備されてからすでに5年近くが経過しており新味がないこと。もうひとつは事故後に国防総省が事態を重要視した場合には必ず講じる飛行禁止措置が取られていないこと。

 過去の事故の際の対応を見てもわかるように、機体や搭載されているシステムそのものに重大な欠陥がある可能性がある場合には、国防総省は飛行禁止措置を取っている。当たり前だが、事故の際に真っ先に失われるのは搭乗している米軍兵士の命だからだ。この点について言えば、今年5月にF22戦闘機の酸素注入機能に原因不明の欠陥があり、パイロットが酸欠の症状に陥ったり、意識不明になった結果事故につながったケースが相次いでいるためパネッタ国防長官がF22戦闘機の飛行を制限する決定をして話題になったが、このケースは、いかなる最新鋭の兵器であっても、使用する米軍兵士の命にかかわる問題が発生した場合には、その使用が制限される好例である。

「100%の安全」はない

 さらに、アメリカで安全保障問題について議論する際によく使われる言葉で「minimize risk」という言葉がある。「リスクの最小限化」ということだが、この大前提として「リスクは0%にはならない」という考えが定着している。軍用機の使用で言えばこういうことだ。どんなに完璧に整備をし、乗員に施せる限りの訓練を実施したとしても、飛行当日が視界不良の悪天候だった場合は事故が起きてしまうかもしれない。どんなに操縦士の腕が良くても夜間飛行など、難しい環境であればあるほど、事故のリスクもあがる。事故の原因を究明し、結果を公表し、対応措置を取ったとしても、それ以降の事故の確率は決して0%にはならない。当事者にできることは、常にリスクを最小限化するための努力を続けることだけである、という考え方だ。 

 翻って日本ではどうか。米軍や自衛隊による事故が起こるたびに、「再発防止」が叫ばれ、常に「100%の安全性」が求められる。「最善の努力をしても事故のリスクはなくならない。だからリスク回避のためにはこういう措置を取りましょう」あるいは「万が一事故が起こった場合にはこのような手続きで速やかに原因を調査し、結果を公表して今後に役立てていきましょう」といった議論をする余地がそこにはない。オスプレイ配備をめぐる反対はその顕著な例といえる。

 しかし、福島第一原子力発電所の事故や事故後の対応の検証から出てきた一番の教訓は「100%の安全という非現実的な神話にこだわるあまり、普段からのリスク管理や緊急時の対応などについて十分な対策がとられなかった」ことではなかっただろうか。何事にも「100%の確証」はない。それを求めること、またそれが確保されなければ反対、という立場をとることは非現実的なのだ。


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