チャイナ・ウォッチャーの視点

2013年4月12日

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富坂 聰 (とみさか・さとし)

ジャーナリスト

1964年、愛知県生まれ。北京大学中文系に留学したのち、豊富な人脈を活かした中国のインサイドリポートを続ける。著書に『苛立つ中国』(文春文庫)、『中国という大難』(新潮社)、『中国官僚覆面座談会』(小学館)、『ルポ 中国「欲望大国」』(小学館新書)、『中国報道の「裏」を読め!』(講談社)、『平成海防論 国難は海からやってくる』(新潮社)、『中国の地下経済』(文春新書)、『チャイニーズ・パズル―地方から読み解く中国・習近平体制』(ウェッジ)などがある。

日本人歌手・芹洋子とも交友関係を持つ彭麗媛

 習夫人は人民解放軍に所属する歌手で、しかも国民的な人気を誇る存在だった。そのため人前に出ることには抵抗がない。それどころか自分がどのようにテレビに映るのかもきちんと計算できるという強みも持っているのだから、ファーストレディーとしてこれ以上の適任者はいないだろう。

 日本のメディアでは、歌手・彭麗媛がどれくらい国内で有名かを表す言葉として、よく「紅白歌合戦の常連」という紹介がされている。ちなみに、日本でのカウンターパートは歌手の芹洋子だともいわれているのだ。

 それは彼女が中国国内で「四季の歌」を歌っている歌手だからである。「四季の歌」は中国でも非常に人気の高い歌で、その関係で彭麗媛が日本に来たときには必ず芹洋子を訪ねるともいわれている。

 その意味で中国は、習が国家主席になる前から夫人外交を進めていたといえるのかもしれない。

習近平と彭麗媛の出会い

 それにしても、中国の国民的な人気歌手であった彭麗媛が、なぜ習近平に魅かれて結婚したのだろうか。

 いまでこそ中国の頂点に上り詰めた習であるが、もともと文化大革命期には少年思想犯として社会の最底辺を這い回っていた人物である。文革が終わり、地位が回復されたといっても将来を嘱望されるポジションでもなく、なおかつ彼自身は農村暮らしが長く、勤務も地方を回っていたのだから、決して都会的で洗練された雰囲気の男ではない。

 ただ、彭麗媛が求めていたのもそうした都会的な男ではなかったという。

 「2人は友人の紹介で会っていますが、その当日、習夫人は自分を華やかな歌手とは違う目で見てほしいと、わざとみすぼらしい服装で会いに行ったというのです。そして習主席は彼女のお眼鏡にかなったというわけです。もちろん習主席も『会って40分で妻にしたい』と思ったというほどの一目ぼれだったようですが……」(党機関紙記者)

 習体制が今後も続く中では、訪問した国にある人気番組への出演さえ軽々とこなすポテンシャルを持つと考えられる彭麗媛が中国のイメージ戦略に大きく貢献することは間違いない。そのパワーは、各国で英語発信を続けるださい中国系のニュース番組など比較にならないものになるはずだ。

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