障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年10月3日

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 「結衣ちゃんはネットにカスったら入ったことにしようか」

 その言葉は、大人たちの配慮から出たものだったが、小学4年生とはいえ負けず嫌いの上地結衣には悔しくてたまらないものだった。

 「テニスが面白かったというよりも、バスケットボールが周りの人たちと同じように出来なかったんです。それが悔しかった。当時は体も小さかったから車椅子の操作も上手くできず、シュートしてもボールが全く届かなくてリングにすら当たりませんでした。それが悔しかった。みんなと平等の立場でやりたいと思っていたときにテニスと出合いました」

 それは4歳上の姉が中学校で軟式テニス部に入ったことがキッカケだった。

勝気で活発な幼少時代

 車いすテニスプレーヤー、上地結衣。兵庫県生まれ。JWTA女子車いすテニスランキング1位。

上地結衣さん (撮影:筆者)

 両親と姉との4人家族。上地は阪神淡路大震災の前年に生まれた。

 「保育所の頃で憶えているのは、自分と似たような活発な女の子3人で水の入っていないプールを男の子たちと取り合って遊んだりしていたことです。先に取られるとその子たちをどけてまで私たちが取り返すんです。毎日毎日同じようなことをやって遊んでいました(笑)」

 勝気でじっとしていられない子供だったことを想像させるエピソードである。

 小学校に進学後もやはり外で遊ぶことが多かった。

 「女の子らしい遊びをした記憶がありません。男の子たちとドッヂボールをしたり、公園でサッカーをしたり」と言う反面、習い事は習字にピアノと女の子らしいところがある。

 ただ、それは自ら望んだものではなく「左利きだったのを右利きに直そうと母に勧められ通っていた」という理由からだった。

 「でも、先生からは右で書こうとしても左手が強すぎて情緒が不安定になるから無理に直さない方がいいと言われ、ピアノの先生からも、直すというより右手を使う練習になるから続ければいいんじゃないか」とやはり左利きは直さない方がいいという意見だった。

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