2024年4月29日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年2月18日

『2023.11.11~12.28 47日間 総費用22万円(航空券8万7000円含む)』

スリランカと云えば紅茶「セイロン・ティー」ですが……

 スリランカが世界有数の紅茶生産地であることは誰でも知っている。スリランカ島の南半分の高原地帯は紅茶畑が広がる紅茶生産の中心地帯である。そしてキャンディー、ヌワラ・エリア、ハプタレーなどの町は広大な紅茶農園(tea plantation)で生産された紅茶の集散地として発達してきた。

 紅茶の生育に適した夏でも涼しい高原地帯なのでこうした紅茶集散地の町は同時に英国人たちの避暑地としても開発されホテルや別荘が紅茶畑の間に点在している。そして現在では世界各国からの観光客が訪れる観光地になっている。

スリランカはかつて大英帝国時代コーヒー生産地だった?

 12月2日。キャンディー湖畔の町の中心地であるクイーンズ・ホテル前の広場の由緒ありそうな大英帝国植民地時代制作とみられるゴシック風の噴水があった。興味を惹かれ碑文を読んで驚いた。石碑には『皇太子殿下(プリンス・オブ・ウェールズ)のご訪問を記念してセイロンのコーヒー農園主一同(COFFEE PLANTERS OF CEYLON)が噴水を建設した。1875年12月』と刻まれていた。

1875年の皇太子訪問を記念する噴水前で撮影する母娘

 1875年といえばビクトリア女王の御代で大英帝国が7つの海を支配した黄金時代である。そして皇太子とはビクトリア女王とアルバート公の長男であり後の国王エドワード7世である。この時代に紅茶農園主ではなくコーヒー農園主がスリランカを代表して皇太子訪問を接遇したことに大きな疑問を感じた。

クイーンズ・ホテルでの皇太子歓迎晩餐会と舞踏会

キャンディーの中心地に威容を誇る1844年創業のクイーンズ・ホテル。外壁塗装工事中

 キャンディーの町で一番古い教会は英国国教会であり1840年創設である。次に歴史がある現役建造物は1844年創業のクイーンズ・ホテルである。滞在中に皇太子一行が逗留したに違いないと判断した。皇太子をコーヒー農園主たちが“おもてなし”した記録を探しにホテルに行ったが、残念ながら古くからいる総支配人が不在で分からないと。

 ちなみにこうした歴史のある名門ホテルでは王侯貴族、映画俳優、作曲家、作家など歴史上のセレブが投宿時に署名した宿帳を大切に保存している。名門ホテルでこうした宿帳を見て往時のエピソードを支配人から聞くのも放浪旅の楽しみの一つだ。

 クイーンズ・ホテルの建物・内装・調度品はほとんど創業時のオリジナルで歴史を感じさせる。往時の写真や資料・骨董品を飾ってあるミュージアム・バーを見て回るとやはり皇太子歓迎晩餐会や舞踏会の写真があった。

皇太子歓迎晩餐会が開かれたクイーンズ・ホテルのメイン・ダイニング・ルーム

現在のスリランカ庶民のコーヒー事情

 クイーンズ・ホテルの受付によると近くに本格的な美味いコーヒーハウスがあるという。現在のスリランカでは紅茶ほどではないが、コーヒーもよく飲まれている。コーヒーの置いてあるゲストハウスもありエスプレッソのように細かく粉のように挽いたものをカップに入れて上から熱湯を注いで、粉が沈んだ後の澄んだ部分を飲むというのが簡便法である。町の食堂では濾過器のような筒形の容器に粉を入れて熱湯を注ぎ濾過したコーヒーを出す。コーヒー豆は輸入豆(恐らく安物の)をブレンドしたものだ。

 スーパーで袋詰めの挽いたコーヒーを売っているが、値段的にもネスカフェのインスタントコーヒーのほうが贅沢品の扱いである。

日本人経営のコーヒーハウスで知ったセイロン・コーヒーの栄光の歴史

 コーヒーハウスは意外にも日本人経営(オーナーは不在だった)であり、壁に“スリランカ・コーヒー復活”のキャンペーン・ポスターが貼ってあった。セイロン・コーヒーの歴史を紹介している。

 なんと17世紀には英国人により、セイロンでコーヒーが栽培され輸出されていた。そしてロンドンではカフェ文化が花咲き熱狂的なコーヒーブームが起こった。1860年代にはセイロンは世界最大のコーヒー輸出地となった。1864年にはコーヒー豆輸送のためにセイロンで初の鉄道が開通。これらの鉄道はスリランカ国鉄に引き継がれ、現在でも公共交通として現役である。当時世界の3大コーヒー産地は英国領セイロン、ポルトガル領ブラジル、オランダ領インドネシアであったという。

 ところが、1870年代に発生した”さび病”(rust disease)が徐々に広がり、1890年代にはセイロン島でのコーヒー栽培が大打撃。それゆえ20世紀になるとコーヒーの木は密林の奥で奇跡的に残った例外を除いてセイロン島からなくなったという。ちなみにキャンディーで長逗留したゲストハウスの裏庭にはその奇跡のコーヒーの木が1本だけひっそりと生き延びていた。

 そして1890年代に壊滅したコーヒー農園を次々に買い取り大規模な紅茶栽培を始めたのがリプトン紅茶の創始者サー・トーマス・リプトンである。この時代にセイロンのプランテーションの主役はコーヒーから紅茶に大転換したのだ。

コーヒー復活にかける高邁な理念『150年の時を超え蘇る世界一の珈琲』

 紹介されたコーヒーショップでスリランカ産コーヒー豆を淹れたコーヒーを頂いた。町の食堂のコーヒーと異なり久しぶりにコーヒーの豊潤な香りと旨さを満喫。従業員は若い女性が5人。英語が上手くて気が利いている。

 日本語のパンフレットには『150年の時を超え蘇る世界一の珈琲』とある。経営理念に『セイロン・コーヒー・ルネッサンス、女性力開花』と。コーヒー産業復活により農村女性への就業機会の提供、コーヒーショップ展開を通じてバリスタとして経営できる女性人材育成を目指している。

 ショップに置いてあった資料によると、国際的なコーヒー豆供給不足と価格高騰を受けて日米欧の大手業者がセイロン・コーヒー復活の支援をしているようだ。キャンディーでは2009年からコーヒーの木の植樹支援プロジェクトが始まり、ヌワラ・エリア地方のコトマレでは共同出資のパイロットファームが運営されているようだ。


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