前記の発言には、習近平の政治観のようなものが反映されている。
1つは、現在の共産党の一党支配が毛沢東に始まり、鄧小平で進化した歴史の延長上にあることを確認したことである。共産党に対する民衆の信頼が低下する中で、一党支配の正当性も揺らいでいる現在、歴史的正当性を強調しようという意図があるのだろう。江沢民と胡錦濤への言及もこのロジックで解釈することができる。しかしいくらか唐突感があり、周永康や徐才厚の次の権力闘争の対象が江沢民と胡錦濤に直接及ばないことを示唆しているようにも思われる。
2つめは、習近平が共産主義の理想に言及している点である。現在習近平政権が掲げる格差の是正、社会公平の実現は、単なる不安定要因の解消というだけではなく、共産主義の理念である平等の実現と捉えているのではないだろうか。
3つめは、ナショナリズムを強調した点である。習近平はその「敵対」対象を「外国」としているが、米国を代表とする西側諸国であることは容易に想像がつく。
一党支配は堅持 「限定的な改革」
周永康問題が一段落つき権威づけに成功し、習近平はさぞや政権運営への自信に満ちあふれているのではと思われるこのタイミングでの講話からは、習近平のまだ自信がない、何かにおびえているというような弱さを感じずにはいられない。
共産党のリーダーとして一党支配を堅持していかなければならない立場で、習近平はその正当性を歴史に頼っていること、そして西側への警戒が強いことからナショナリズムを煽らなければならないという点である。そして資本主義を批判するために生まれた共産主義を強調し、平等という共産主義の理想を強調した。時代遅れと思われるかもしれないが、習近平にとって共産主義は依然として権力を維持していく上で魅力的なイデオロギーと映っているのではないだろうか。
もちろん、改革を進めていこうという中でのこうした発言を、まだ少なくない改革に消極的な勢力に対するメッセージであって、習近平のバランス感覚であるという現実的な解釈もできよう。
今後、習近平は「改革」を実行し、最高指導者としての実績を重ねていかなければならない段階に入っていく。習近平がどのような改革を行うのか、実際を事細かに見ていかなければならない。しかし今回の習近平の講話からは、一見積極的に見えるものの、内実は既得権益層の損をさせない、つまり一党支配を堅持するという意味での限定的な改革しか打ち出さないだろうという確信のようなものを筆者は感じ取っている。