WEDGE REPORT

2015年2月20日

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 岡田和弘さんは、平ったく言えば「お茶の先生」である。こう言うと、ちょっと訳知りふうな人物像を想像しがちだが、実像はなかなかすがすがしい、頬のあたりに初々しさが見え隠れする若き茶人なのであった。

 肩書きにしたって若々しく「茶会スタイリスト」、それに「世界茶会」の主宰者と、まさにいまふうだ。もちろん、れっきとした千利休(1522年~91年)、戦国時代から安土桃山時代の茶人を祖とする表千家の相伝を得た、すなわちお免状を授与された「茶道講師」の資格者である。

岡田和弘さん。その手前に写り込んでいるのは染色家・玉村咏(Ei Tamamura)氏の風炉先屏風「杲絲(こうし)」

 彼の仕事場は「茶室」、となれば、一服点(た)ててくださることを期待して、お懐紙などをバッグに赴いた。

 場所は都内品川区。小住宅が肩を寄せ合う下町ふう住宅地の迷路のような路地を行き、辿り着いたのが、一時代前の造りの2階建ての日本家屋だった。よくぞ現存されていたものよと、古民家の佇まいに見惚れたが、後で聞けば、建物や建具に造詣の深いオーナーだそうで、建具用材の吟味の程は流石、昔かたぎの職人の目と腕が光っていた。

 でも、持ち主はお茶には関心がなかったそうで、借り手の岡田さんが階下広間、八畳間に炉を切って茶室とした。

 その広間に案内されて席に着いたときだ。思わずほおっと唸ったものだ。

 廊下に面した2間の雪見障子は、立春の柔らかな日差しを映し、床の間脇の書院棚は白ガラス窓の淡い外光、これら採光で以って仄明るさに包まれた広間は、坐禅堂に座した折の、あの空気感を思い出させた。茶道の起こりが「禅」であればのことだが、利休を論じた書物に、わび茶の小間茶室は「母の胎内のイメージ」との記述も、生々しく想起された。

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