タンザニア人にとって
なぜケータイが必需品になったのか?


小川さやか (おがわ・さやか)  立命館大学 先端総合学術研究科准教授

立命館大学先端総合学術研究科准教授。1978年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。国立民族学博物館などを経て現職。著書に『都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社)。

小川さやかのマチンガ紀行

タンザニアの零細商人「マチンガ」。自らもマチンガの一員となるなどして、彼らの生態を研究してきた筆者。そこから見えてくるタンザニアの人々の現在と、中国をはじめとしたグローバル経済とのつながりを綴る。

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ケータイは、固定電話をもつ人口が限られていたアフリカにおいて急速に発展したBOP(base of the economic pyramid )ビジネスの急先鋒である。2000年の時点では、アフリカ53カ国合わせて1500万件ほどであった契約数は、2010年では5億4000万件近くにまで膨れ上がり、2005年から2010年までの携帯加入数の年平均増加率は、アフリカ全体で31%にも及ぶという(羽淵・内藤・岩佐編 2012:4)。

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 私がこれまで都市インフォーマル経済の調査のために通ってきたタンザニアも携帯の普及率が高い国である。タンザニア通信規制局(The Tanzania Communications Regulatory Authority)のホームページによると、携帯の契約数は、2000年の12万6646件から、2013年には2730万件に急増している。

 この急速な普及は、アフリカにおいてケータイが単なるコミュニケーションや娯楽のためのツールではなく、生活全般にかかわる様々な機能を代替する不可欠の存在になったからである。

 私はちょうど都市部の若者たちにケータイが普及し始めるころから、毎年のようにタンザニアに通ってきた。身近な友人たちを事例に、タンザニアの若者のあいだで、なぜケータイが必須アイテムとなったのかを考えてみたい。

ケータイ普及の前は、道端での伝言が連絡手段だった

 はじめてタンザニアを訪れた2001年、ケータイを所有する若者はごくわずかで、友人と連絡をとりあう手段は、道ばたで出会った知り合いに伝言を残していくのがポピュラーだった。都市の友人ネットワークは驚くべきもので、伝言は瞬く間にストリートからストリートへと届けられたため、ケータイがなくても待ち合わせに何一つ不便を感じなかった。

 2003年ごろになると、私が調査対象としていた零細商人たちの間でもケータイを持つ者たちがちらほらと現れた。道ばたでは、ケータイによるインフォーマルな貸電話のキオスクが立ち並ぶようになった。この商売はケータイの普及にしたがってすぐに消滅し、代わりにSIMカードやプリペイドカードを販売する路上商人やキオスクが爆発的に増加していった。私自身も首都のショッピングモールでモトローラ社の通話機能のみのケータイを購入した。

 だが、2003年、04年ごろ、正規商店で販売されているケータイは私が対象としていた零細商売や日雇い労働で生計を立てる都市下層の若者にとってはなかなか手が届かない品であった。モバイル通信会社の小売店や商店が激増していく陰で、もう一つのケータイ商売が急速に発展していった。
 

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「小川さやかのマチンガ紀行」

著者

小川さやか(おがわ・さやか)

立命館大学 先端総合学術研究科准教授

立命館大学先端総合学術研究科准教授。1978年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。国立民族学博物館などを経て現職。著書に『都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社)。

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