国土と日本人

2015年9月18日

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大石久和 (おおいし・ひさかず)

国土技術研究センター国土政策研究所長、日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)国土委員会委員長

1945年、兵庫県生まれ。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。同年、建設省入省。建設省道路局長、国土交通省技監等を歴任。京都大学大学院経営管理研究部特命教授、公益社団法人日本道路協会会長等を兼務。著書に、『国土が日本人の謎を解く』(産経新聞出版)、『国土と日本人』(中公新書)、『築土構木の思想ー土木で日本を建てなおす』(共著、晶文社)。

インフラ認識の欠如の由来としての都市城壁の有無

 前回、日本では「インフラストックの形成手段である公共事業を単に財政上の歳出としか見ていない」ことを指摘した。それは、先進各国首脳の認識とは大きく異なっていることも紹介した。

 ところで、最近の台風17号、18号による集中豪雨によって、茨城県常総市で鬼怒川堤防が決壊し、大きな災害となって人命・財産を奪っていった。ある決壊箇所は堤防強化計画があり、まさに着手の準備をしていたところだったと言われる。

 この20年間で先進国で唯一公共事業費を削減してきた実態はすでに紹介したが、その煽りを受けて河川改修の予算も大きく減少してきた。予算が伸びていれば、この堤防強化事業もずっと前に整備が完了していたはずなのである。公共事業を「財政からの歳出」とだけとらえ、インフラストックとしての効用を理解してこなかったツケだと言っても言いすぎではない。

 この日本人の「認識欠損」はどのように生じたのか考えてみたい。人間が理解すべき領域のなかで、われわれ日本人が獲得できていない領域があるようなのだ。当然のことだが、それは民族の経験がそれをもたらしている。

 数千年にわたる日本列島での歴史のなかで、われわれは一度も「都市全体を囲む城壁」を建設した経験を持たないが、それは世界的に見てもきわめて希有なことなのだ。

 シュメールからギリシャ・ローマを経て今日の世界文明につながる西洋や、古い時代から文明を育んできた中国には、文明のゆりかごとなった都市が生まれたが、それを可能としたのは強固な城壁だったのである。

 多様な才能を持つ人間が多数蝟集するところに文明は生まれる。最も古い文明は、謎に満ちたシュメール人が5500年前にチグリス・ユーフラテスの河口近くに建設した都市国家で生まれた。

シュメール人の石像(iStock)

 このあたりには、ウルやウルクといった都市の遺跡が残っているが、ここで国家が生まれ、王制という統治制度が発明され、神を生んで宗教を育てて神殿を建設し、そしてやがて文字を持った。まさにここで文明は誕生したのだが、ウルもウルクも城壁で囲まれていたのである。

 なぜ、都市を囲む城壁が必要だったのかといえば、農耕民族だったシュメール人は集積した作物を山岳民族や遊牧民から収奪され、その際に愛するものの大量死を経験させられたからである。

 人々の蝟集の初期の初期には城壁など持たなかったと思われるが、それでは年間の労働の成果と仲間の命の喪失が避けられず、何度もそのことを経験したからこそ多額のカネもかかるし大変な労力も動員しなければならなかった「都市全体を大きくて強い壁」で囲むことを余儀なくされたのだ。

 今日の気象考古学によると、シュメール人の時代にはこの地方はすでに乾燥化が始まっていたらしいのである。

 Cityという言葉はラテン語のキビタス(Civitas)を語源としているが、その意味は「壁の内側の人が密集している場所」という意味だから、都市の概念のなかに壁が含まれているのである。

 中国の事情もよく似ており、都市という都市が城壁で囲まれていた。長安は平城京などのモデルとなった巨大都市だが、東西9.9キロ・南北8.4キロ、総延長37㎞の四角形の強大な城壁で囲まれていた。現在の西安(昔の長安)にも大きな城壁があるが、それよりも巨大なものだったといわれている。

 国という言葉は今では国家を指す言葉だが、もともとは「都」を意味する言葉であり、國という文字だった。「囗」は今では国囲い(国がまえ)と言うが、囗が表わしているのは実は都市城壁であり、そのなかで戈を持って敵と対峙している様子を示す文字であった。

 邑という文字も、白川静氏の説明では都市城壁を表わした囗の形の下で跪いている人を示すものだという。これは筆者の解釈だが、城壁があったおかげで命を保つことができた幸運を喜んでいる様子を示しているのではないかと考えている。

 この都市城壁は今日でいうインフラストラクチャーそのものであり、文字通り「社会を下から支える基礎構造」なのだが、われわれはこれを必要とする経験をまったくしていないから、「社会には欠かせないインフラがあるのだ」との理解が十分ではないのだ。

 シュメール人の5500年前から、パリが最終城壁であるティエールの城壁を取り外しはじめた1919年まで、「都市城壁なしには都市は存在し得ない。都市には都市城壁というインフラが不可欠である」との認識をフランス人やヨーロッパ人は共有してきたのである。

 これが今日のインフラ認識につながっている。社会には人々の暮らしを成り立たせるための共通資産として下部から支える構造があり、「かつて城壁が人の命と暮らしを支えたように、今日では、道路などの交通インフラやダムや堤防といった安全インフラが社会には不可欠なのだ」と考えているのである。

 だからこそ、前回紹介したように各国首脳はインフラの重要性についての認識を語り、国民の支持を得ることができているのである。

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