科学で斬るスポーツ

2015年10月10日

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玉村 治 (たまむら・おさむ)

スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト

小学校より野球をはじめ、大学では投手として活躍。スポーツを科学的に分析することを得意とし、バンクーバー、ロンドン五輪、ワールドカップサッカーなどで取材。

 今年7月にモスクワで開催されたフェンシング世界選手権男子フルーレ個人で、太田雄貴(29)(森永製菓)が、金メダルを手にするという快挙を成し遂げた。太田にとっては2008年の北京五輪で銀メダル、2012年のロンドン五輪でフルーレ団体銀メダルに続く金字塔だ。五輪あるいは世界選手権での優勝は、日本人初めてで、欧州が起源のフェンシングに日本の存在感を強烈にアピールしただけでなく、次世代を担う国内の若手にもとって大きな朗報となった。

 躍進の背景には、太田ら機が熟した選手の出現だけでなく、国立スポーツ科学センター(JISS)、ならびに文部科学省が日本スポーツ振興センターに委託している「マルチサポート戦略事業」による技術サポート、ウクライナから来た外国人コーチのオレグ・マツェイチュクら優秀なスタッフの存在などが挙げられる。着実に歩を進める日本のフェンシングに迫る。

「10年待たせてごめん」

 世界選手権で、太田は準々決勝でロンドン五輪金メダリストの雷声(中国)、準決勝でグレグ・マインハート(アメリカ)をともに15-9で破り、決勝はアレクサンダー・マシアラス(アメリカ)を15-10で下した。もともと世界レベルにあったスピード、瞬発力、剣さばき(フィンガリング)がさえたのに加え、状況に応じて駆け引きできる「試合運び」のうまさが光った。「やってきたことだけを愚直にやった」と試合後に語った太田は、ツイッターでこんなことをつぶやいた。

 「今回の選手権で嬉しかった事の一つは、オレグコーチを金メダリストのコーチにできたこと。10年待たせてごめんね。本当にいつも、ありがとうオレグコーチ」

 太田の素直な感謝の言葉の裏には、オレグコーチとの長い、紆余曲折の末にたどりついた、高みが見えてくる。それくらい二人の間には、個と個がぶつかり合う言い尽くせぬ確執があったからだ。

 この辺の事情は、オレグコーチが書いた『「奇跡」は準備されている』(講談社)に詳しく記されている。太田は、2003年に日本フェンシング協会ナショナルチーム・男子フルーレ統括コーチとして来日したオレグの指導を拒んだ。当時、高校生で全日本優勝を果たすなど飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。「オレグのスタイルは自分に合わないと思った。(中略)自分のスタイルを大切にしたい。もう一つは、オレグは競技者として実績がないこと。18歳の尖った高校生としてはごく自然なことだった」(同書)と理由を述べている。

『「奇跡」は準備されている』(オレグ・マツェイチュク 著、講談社)

 しかし、05年、その勢いは失せ、勝てなくなった。ルール変更や相手に研究されたことが大きな要因だった。翌06年11月、アジア大会の10日ほど前、突然オレグに教えを乞うためやってきた。2人がやったことは最大のライバルの中国選手の研究と対策。それが28年ぶりの優勝につながった。

 これ以降、オレグと太田の師弟関係は続いた。オレグは太田について、「彼のようなカリスマ的な個性を理解するのは非常に気を使う。忍耐が必要でプレッシャーがある。コブラと働いているようなものだ。私は巧みな蛇使いでなくてはならない。ミスしたら蛇に咬まれてしまう」(同書)と語る。指導は、まさに命をかけて真剣勝負だったことが伺える。

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