あの負けがあってこそ

2015年7月31日

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 ラグビーの元日本代表で慶應義塾大学ラグビー部監督の上田昭夫さん(亨年62)が、2015年7月23日の朝、ご家族が見守るなか静かに天に召された。

上田昭夫さん(YOKOHAMA TKM 提供)

 上田氏は現役時代、スクラムハーフとしてトヨタで日本一を経験し、日本代表として国際試合でも活躍した。引退後は、母校の慶應義塾大の監督に就任し1985年度には全国大学選手権を制し、日本選手権では自らが勤めるトヨタを破って初の日本一へと導いた。

 その後、フジテレビに転職。ニュースキャスターなどを務め勝負師とは異なる一面を見せた。

 1994年低迷していた母校の監督に復帰。良い伝統は継承し、必要のないものは見直し、チームの体質改善のためには、上田氏いわく「積極的に憎まれ役になった」。そして慶應義塾大学ラグビー部創部100周年となる1999年度にはみごと大学日本一に返り咲いた。14年ぶりの快挙と称えられた。

病室での話題は女子ラグビーの怪我のこと。

 上田昭夫 1952年東京生まれ。

 「おい、大元(タイゲン)、俺はいつまで経っても『元慶應義塾大学の監督』と言われるんだ。周りが評価してくれるのはありがたいが、俺は過去にしがみついている人間じゃない。俺は未来に向かって生きている。俺に何かあっても、おまえは『元……』なんて書き方はしないでくれよ(笑)」 

 これは2014年春の病室でのやり取りである。当時はお元気いっぱいなので病院での時間を持て余していた。プリンやゼリーを食べながらよくラグビーの話をした。とにかく未来志向の方なので「元」と書かれたり、言われたりするのが嫌いだった。

 ただ、慶應義塾大学への思いは誰よりも強かったのではないだろうか。その強さが指導に活かされた。チームを成長させるためには憎まれ役になってでも、言うべきことははっきりと言い、変えるべきところは変えるという生き方に繋がっている。

 目指したものは主体的に考え、主体的に決断し、行動できる人間集団であった。それは母校に限らず、スポーツに携わる者、全てに対する考えでもある。

 私が最初に病室を見舞ったのは2014年2月のことである。それから入退院を繰り返したが、当時は不治の病とはつゆほども思わず、病室を見舞うのが楽しかった。上田氏もいつも「おい、大元!」と笑顔で迎えてくれた。

 一時は病室が会議室のようにもなったが、仕事の話が終われば、もっぱら話題は上田氏が指導から離れた女子ラグビーチームYOKOHAMA TKMの選手たちのことばかりだった。ホームページの更新情報も必ずチェックしていた。

 「おい、○○(選手の名前)の膝はどうなんだ?」「○○は次の大会までに戻れるのか?」など、いつも選手たちの怪我の回復状態を心配していた。筆者は外部スタッフなので詳しい情報を得ることができず、詳細を伝えることができなかった。

 女子のラグビー選手は男子以上に膝の怪我に悩まされている。それも国内トップクラスの選手に怪我が多い。上田氏は「そこが女子ラグビー普及、発展の課題だ」と語っていた。

 上田氏は勝負にはこだわるが、決して勝利至上主義の人ではない。スポーツの根底にあるべきは「楽しむこと」であるという考えを持っている。その先に選手の人間的、競技的成長があり、その和としてチーム力の向上があると言う。ゆえに、怪我というマイナスは極力防がなければならない。(ただ、怪我が選手個人の精神的な成長にマイナスとは考えていなかったことを付け加えておきたい)

 オリンピックやワールドカップという国際舞台で勝つための競技力をいかに養うか、それにはどう怪我を防ぐか、に何がしかの答えを見つけなければ指導者としての計算が成り立たないだろうと繰り返し語っていた。

 自身が入退院を繰り返し、病室で多くの時間を費やすうちに、はっきりとは口にしなかったが、もう一度自分が女子ラグビーに関わるとしたら、その課題に取り組みたいと思っていたのではないだろうか、と感じられた。

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