取材で訪れた日は、あいにくの雨。だが私たちが到着した10時50分には、店の前に長蛇の列ができていた。開店は11時30分なのに……。しかも2時過ぎに取材を終えて帰る時にも、まだ行列が! 驚く私たちに、御子柴智男店長が教えてくれた。
「昨日、大きなコンサートがあり、全国から名古屋にファンの方がいらしたようです。その方々も来店されたのでしょう。そういったコンサートでは、アーティストがステージ上でお客様に、『ひつまぶし、食べた?』と尋ねることもあるそうですので」
今やすっかり名古屋名物になったひつまぶし。細かく刻んだ鰻をご飯に混ぜ込み木の器で供するもので、明治20年代に「あつた蓬莱軒本店」で誕生したという。
江戸時代、この近くには宮宿という東海道最大の宿場町があった。伊勢至近の桑名宿とは東海道唯一の海路・七里の渡しで結ばれていたこともあり、熱田神宮、伊勢神宮に参拝する人々で賑わっていたという。
女将の鈴木詔子(のりこ)さん(5代目店主・享(すすむ)さんの妻)が、創業当初の様子について、丁寧に説明してくれた。
「熱田神宮と宮宿のちょうど中間のこの場所に、明治6年(1873)、鈴木甚蔵が料亭を開きました。『東海道中膝栗毛』にも出てくるほどこの地で親しまれていた蒲焼(鰻)とかしわ(鶏肉)、近くの魚河岸に集まる海老などの魚介類の天麩羅などを出す、会席料理の店でした」