百年レストラン 「ひととき」より

2017年4月24日

»著者プロフィール
閉じる

菊地武顕 (きくち・たけあき)

1962年、宮城県生まれ。編集者・記者。「E
mma」「女性自身」「週刊文春」「週刊朝日」と、25年以上にわたって週刊誌編集部で働く。著書に『あのメニューが生まれた店』(平凡社)。編書に「日本全国 おいしいものお取り寄せ」(文春文庫)。

 

門をくぐり小道を歩いて玄関に向かう

 取材で訪れた日は、あいにくの雨。だが私たちが到着した10時50分には、店の前に長蛇の列ができていた。開店は11時30分なのに……。しかも2時過ぎに取材を終えて帰る時にも、まだ行列が! 驚く私たちに、御子柴智男店長が教えてくれた。

 「昨日、大きなコンサートがあり、全国から名古屋にファンの方がいらしたようです。その方々も来店されたのでしょう。そういったコンサートでは、アーティストがステージ上でお客様に、『ひつまぶし、食べた?』と尋ねることもあるそうですので」

びっしりと敷き詰められた鰻の下のご飯にも、鰻がまぶされている。ひつまぶし3,600円は鰻たっぷり

 今やすっかり名古屋名物になったひつまぶし。細かく刻んだ鰻をご飯に混ぜ込み木の器で供するもので、明治20年代に「あつた蓬莱軒本店」で誕生したという。

 江戸時代、この近くには宮宿という東海道最大の宿場町があった。伊勢至近の桑名宿とは東海道唯一の海路・七里の渡しで結ばれていたこともあり、熱田神宮、伊勢神宮に参拝する人々で賑わっていたという。

詔子さん(左)と、6代目・淑久(よしひさ)さんの妻・裕子さん


 女将の鈴木詔子(のりこ)さん(5代目店主・享(すすむ)さんの妻)が、創業当初の様子について、丁寧に説明してくれた。

 「熱田神宮と宮宿のちょうど中間のこの場所に、明治6年(1873)、鈴木甚蔵が料亭を開きました。『東海道中膝栗毛』にも出てくるほどこの地で親しまれていた蒲焼(鰻)とかしわ(鶏肉)、近くの魚河岸に集まる海老などの魚介類の天麩羅などを出す、会席料理の店でした」

 

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る