個人美術館ものがたり

2011年2月10日

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赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)

画家、作家

1937年、神奈川県生まれ。60年代にネオ・ダダイズムなど前衛芸術運動に参加。80年「尾辻克彦」名の『父が消えた』で芥川賞を受賞。『散歩の学校』『昭和の玉手箱』『千利休 無言の前衛』など著書多数。

完成前に逝去した無口で物静かなコレクターがつくった美術館はガラス張り。
地上2階から地下2階までの吹き抜けは降り注ぐ自然光が心地よく、
入館時には森の中の秘密基地に入るようなワクワク感を与えてくれるのでした……。

  東京から行くと、小田原の先はもう箱根とか強羅〔ごうら〕だ。この名を聞くと早くも観光気分が湧き上がり、仕事や労働は遠く離れたところに飛び去っている。山が迫り、眼下には谷川が流れて、辺りには木の葉が充満している。湯けむりがまだ見えなくても、湯舟に揺れる光がこっそり感じられる。

 ということは別荘地である。林の奥にぽつぽつと建物がのぞき、また緑だけがつづいたりして、ポーラ美術館はそんな緑の中にある。森の中を進む橋の先に、ガラス張りの構造物が見える。そこが美術館の最上階で、そこからエスカレーターで下に降りる。光もその広いガラスを通して下のロビーを照らす。美術館はその森の中、地中に埋まった形になっている。

 下降したロビーの一角にその地中構造まで見せる模型があった。説明によると、まずこの地面にお椀形の巨大円形地下壕を掘り、そこに免震ゴム装置を設置して、その上に建物を載せるように造り上げている。だから構造的には建物だけがお椀みたいな、さらにいうと推進装置さえあればお椀形ロケットとして飛び上がれるような、いわばそういう状態にあるらしい。

  開館は2002(平成14)年だが、それを構想しているころに阪神淡路大震災が起きた。あの衝撃は大きく、いっそう強く耐震構造を考えたということもあるだろう。

 それにこの辺は昔からの風光明媚な所だから、環境保護にはとりわけ留意が必要で、その上火山地帯でもあるから、美術作品にとっては空気が清浄とはいえない。だから空調は火山ガスを避けるために特殊なものを取り付け、四六時中作動させている。

  コレクションを作ったのはポーラ・オルビスグループの前オーナーの鈴木常司〔つねし〕氏である。父が創業した会社で、24歳で社長になり、後にポーラ美術振興財団の理事長となっている。

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