定年バックパッカー海外放浪記

2018年12月16日

»著者プロフィール
閉じる

高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2017.11.4~2018.1.10) 68日間 総費用33万9000円〈航空券含む〉)

オージー魂で拓いたグレート・オーシャン・ロード

 グレートオーシャンロードは変化にとんだ海岸線で世界的に有名である。断崖絶壁と奇岩が立ち並ぶ絶景により、近年オーストラリア観光のハイライトとして脚光を浴びている。メルボルンからワーナンブールまで12日間かけて約300キロをキャンプしながら走った。

ポートキャンベル付近の断崖絶壁と奇岩

 世界中の自動車会社のCM撮影に使われるという絶景ルートはドライブを楽しむには最高であろう。しかし自転車で走破するとなると急カーブと急峻な坂道の連続でかなり難易度が高い。

 このグレートオーシャンロードが完成するまでは、メルボルン~アデレード間にはまともな陸路がなく人々は汽船で行き来していたようだ。第一次世界大戦後の不況時代に30万人を越える大量の帰還兵の失業対策としてグレートオーシャンロード建設がスタート。

 当時ダイナマイト以外はシャベルとツルハシによる人力工事であった。アングルシーの町から少し行くと労働者の奮闘を讃えるメモリアル・パークがある。こうして1919年から16年の歳月をかけて完成。

ニュータウンは多文化国家オーストラリアの縮図

アポロベイの西方10キロあたりの海岸近くの国道B100号線

 11月30日~12月3日。メルボルンから西方20キロくらいに位置するウィリアムス・ランディングは新興住宅地だ。携帯ラジオではABCニューズがビクトリア州海岸地方に洪水注意報(flush flooding warning)が発令されたことを繰り返し放送していた。このため新興住宅地の公園に避難して三泊することになった。この新興住宅地には中国人・インド人家族が多数住んでいることは本編第8回(2018年11月4日掲載)にて紹介したとおり。

 テントを設営した公園の東屋は雨宿りに絶好の場所で色んな人間が立ち寄っていく。暴風雨を心配したアイルランド系の紳士が、困ったら自分の家に避難するようにと電話番号を置いて行った。

 ある夕刻、アフリカ系の黒人カップルが何やら深刻そうな様子でひそひそ話をしていた。近くの難民関係施設のスーダン人難民のようであった。

 アボリジニ青年の兄弟と兄の白人系ガールフレンドの三人が遊びに来たこともあった。弟は明るい性格で日本を旅して大の日本ファンになったという。アボリジニの兄弟には人種や文化の壁など存在していないように見えた。

 米国ではアメリカ先住民は居留地区に集住している。先住民の若者たちは一般米国社会に溶け込めず距離を置いているようだった。オーストラリアの公園ではアボリジニはフツウに白人系やアジア系市民と一緒にスポーツやレジャーを楽しんでいた。つまりアボリジニはオーストラリア市民社会の一員として当然のように溶け込んでいた。米国社会との違いを感じた。

テント・寝袋・着替え・食料・水など全て載せると自転車の重さと合わせて最大35キロとなる

“旅は失敗(failure),失望(disappointment),痛み(pain)を味わうもの”

 12月3日。ウィリアムス・ランディング近くのショッピングセンターに食料の買い出しにでかけた。アウトドア用品店のウィンドウに手書きのメッセージがあった。

 “いかなる情熱をもってしても、なにかしら犠牲を伴うものである。何かを達成するためには、しばしば失敗、失望、痛みに終わるあてにならない小径を辿らなければならない。しかし、この小径を歩いた者はこうした失敗や痛みが人間を形成するのだと語るであろう。

 サーフィンやスケートボードをするときに、尻込みして同じことを繰り返していては何も得られない。人生も同じだ。“    

 どうも意味は判然としないが、年金生活者のオジサンがどうしてバックパッカーを続けているのかという自問に対する一つの答えのように思えた。

公園の東屋は暴風雨を防ぐのに絶好のシェルター。隣にBBQコーナーがある

ジーロン近郊でキューバ出身女性の差し入れ

 12月4日。メルボルン西方50キロくらいのジーロン市近郊のラグビークラブの隅で夜営。朝8時頃、寝坊してうとうとしていたら、「ハロー、ハロー」とテントの外からの呼びかけで目を覚ました。

 慌ててテントから這い出ると、中年の女性である。昨日テントを見かけたので、朝ご飯を持ってきたという。卵とベーコンを挟んだトーストとホットココアの差し入れを有難く頂戴した。

 マリアさんは「キューバ出身なので余り英語が上手ではないの」と言った。キューバは商社勤務時代の1990年代末に二回出張したことがあり懐かい。マリアさんの故郷はキューバ島南西部のサンチアゴ・デ・クバであった。現在でも親兄弟親戚は全員サンチアゴ・デ・クバに住んでおり、老後は故郷で暮らしたいと。

 マリアさんはスペイン人と結婚してスペインで10年以上暮らした。旦那さんとは結局10年で離婚。子供たちの教育のため2年前にオーストラリアに移住。そんな話をしていたら、マリアさんは「得意のキューバ料理を作るから是非ランチに持っていってね。1時間くらいしたら持ってくるから」と思いがけないオファー。

 キャンプを撤収して荷物を自転車に載せていたら、マリアさんがボール紙のランチボックスを持ってやってきた。メインは小豆のようなビーンズと海老、いか、アサリなどが入った炊き込みご飯である。さらに、たまごサンドとマンゴ、オレンジが入っていた。

アウトドア用品店の不思議なメッセージ

関連記事

新着記事

»もっと見る