チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年1月25日

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有本 香 (ありもと・かおり)

ジャーナリスト

企画会社経営。東京外国語大学卒業後、雑誌編集長を経て独立。近年とくに中国の民族問題の取材に注力している。『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社)『なぜ、中国は「毒食」を作り続けるのか』(祥伝社)の他、近著に『中国の「日本買収」計画』(WAC BUNKO)がある。

 たかが正月、されど正月である。異民族の正月を強要することは、チベット民族の伝統の抹殺を意味する。これこそが、ダライ・ラマ14世法王が繰り返し訴えている「文化的虐殺」の具体的な中身の一端である。とはいっても、今日の日本のように、「休日が連続すれば経済効果も高まって云々」というような理由で、古来、意味あって日が定められていたはずの祝日をことごとく移動させるような愚策を、さしたる疑問もなく施行する国の国民にはピンと来ないだろうが……。

焼身抗議の「本質」が理解されない現実もある

 昨年来、相次いでいるチベット僧らの焼身抗議について、以前、チベット取材を通じて知り合ったスイス人のジャーナリストは、筆者にメールで次のように書き送ってきた。

 「焼身は悲劇的ではあるが、このような抗議手段は世界の共感を呼ぶものではない。つまり効果的とはいえない。ただちに止めさせるよう、ダライ・ラマ法王はもっと強いメッセージを発するべきではないか」

 これを読んで筆者はいっそう暗い気持ちになった。異文明世界の住人である欧米人には所詮わからないのだろうか、と思ったが、しかし、ネット上の日本人、しかもチベットや中国の状況を比較的よく知り、憂慮していると思しき人たちのコメントに、同様の主旨のものを見つけた際にはさらに落ち込んだ。それらには、「焼身は犬死だ」とか、「命を投げ出すことは利敵行為につながる」というような内容であった。

 前に書いたように、チベット人誰一人、自殺や焼身という行為を肯定していない。現代の日本人である筆者も、思想背景は異なるとはいえ、同じく、自殺を肯定などしない。命を粗末にするような生き方には反対だ。が、一方で、現代の日本社会を覆う、闇雲なまでの「生命至上主義」、否、「御身大切主義」と言い換えたほうがいいかもしれないが、そうした思想にも強烈な違和感を覚える一人である。

 命は大切なものだ。殺生を厳しく禁じられ、虫一匹殺せないチベット人がそれをわからないはずがない。しかし人間が人間である以上、時には、命に代えても守り抜きたいと思うものがある。それこそが人としての尊厳、誇り、というようなものではないのか。

 亡命チベット人によると、中国の地元当局は、チベット人住民に中国正月を祝わせる件に関し、はじめから「力」でのみ対処したわけではないという。大人しく従う者には金を出すなどの懐柔もしていた。しかし、何につけても、そのように、「金」か、さもなければ「力」というやり方しかしない、人の誇りを弄ぶような、中国共産党当局のスタイルそのものへのチベット人の憤りが、もはや限界を超えたところに来ているのだという。

チベット人に「同情しない」中国の若者たち

 ところで、この件から一夜明けた24日、中国メディアもダンゴ(炉霍)での件をおおむね次のように伝えた。

 「四川省甘孜州炉霍県で、デマに端を発したチベット族の暴動が発生。百名のチベット族僧侶と俗人が人民警察と武装警察に投石し、公安派出所、パトカー、消防車を破壊、店舗や銀行を襲撃。5名の警官が負傷、不法分子は1名が死亡、4名が負傷したが、すでに病院にて手当て済み。現在、現地の秩序はすでに回復している」

 チベット側や一部外国メディアが伝える、「平和的なデモに対し、武装警察が催涙ガスを用い、無差別発砲した」という情報とは、例によって隔たりのある内容だ。この中国メディアの報道に対し、中国人のネットユーザーや市民らからは、「正月元日なのに、何、騒ぎを起こしているの?」「(当局は)もっと厳しく対処しろ」などのコメントが見られる。同様の反応はネット上のみならず、である。自らも共産党の統治に不満をもっているはずの中国人らからも、チベット人への同情の声はほとんど上がらない。

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