地震と津波で徹底的に破壊された被災地のインフラは、震災後1カ月で大きく機能回復した。迅速な復旧を支えた数多くの縁の下の力持ちたち。想定外の危機に対応した各社の現場力。利用者からの信頼を獲得するために一見ムダと思えるほどの労力やコストをかける日本企業の精神性にこそ未来を切り拓く力があるのではないだろうか。
4月29日、東北新幹線が全線復旧した。東京駅の切符売場にある空席情報ボードには、指定席満席を示す赤い×印が並ぶ。震災後初の盛岡行きとなる6時12分発やまびこ251号。発車を待つ都内の会社員、熊谷喜久男さん(51歳)はこう言って相好を崩した。
「この日を待ちわびていました。実家が気仙沼で、母親がいます。幸いにも建物に被害はなかったのですが、一刻も早く顔が見たい。一ノ関駅に兄が迎えにきてくれます」
耐震補強対策が 有効に寄与
震災50日目の開通は、81日かかった阪神・淡路大震災や66日を要した新潟県中越地震を上回るペース。高架橋倒壊や橋脚のせん断破壊があった阪神大震災や、トンネルに大きな被害が出た中越地震に比べ、「致命的被害が無かったことが幸いした」(前川忠生・JR東日本広報部長)。土木学会が指摘しているように、阪神大震災以降の耐震補強施策が有効に寄与したとみられる。とはいえ、被害箇所は約1200カ所にも上り、約500キロという広範囲に点在。連日3500人規模で投入された現場作業員たちの献身的な努力なくして迅速な復旧はなしえなかった。
JR東の関連会社、東鉄工業の東北支店土木部に所属する鈴木徳仁氏は、仙台~志賀トンネル間約20キロの土木構造物を担当するチームを率いた。幼稚園を営む鈴木氏の実家は、多賀城市内、チリ地震津波の被害エリアにある。両親や園児たちなど、多くの近しい人びとの安否が確認できないまま、鈴木氏は翌12日から仕事に没頭した。
「両親たちはダメだと覚悟していた。でも確認する気にはならなかった。最も難しい工事は14日から22日までの夜間ぶっ通し作業。多くの職人たちが震災被害者なのに協力してくれていたから、自分のことは言ってられなかった」
12日夜に駆けつけたクレーン運転手は弟が津波で流されていた。翌日の運転手は家を失った。作業員たちが泊まれるよう、20畳強のプレハブを作ったが、「仮設住宅より簡素で、ふとんもなく毛布だけ。それでも協力してくれたのは職人たちの心意気」(鈴木氏)。
両親らと連絡がついたのは4日後。震災直前に幼稚園を建て替えていたことが幸いし全員無事で自衛隊ヘリに救出されていた。鈴木氏のチームの復旧作業は、4月24日まで続いた。初めての休日は30日だったという。
今回の震災で被害が集中したのは電化柱で、約540カ所に上る。JR東・東北工事事務所の電車線グループリーダー、藤田一之副課長はこう語る。
「電化柱が連続してハの字に倒れるなど、今までに見たことのない光景だった。4月7日の余震で一部作業が振り出しに戻ったときはショックだった。電化柱や架線の復旧は特殊な仕事。体制作りや他部署との調整など、現場作業がスムーズに運ぶよう心を配った」
JR東の清野智社長は「JR東海、JR西日本など、旧国鉄の仲間たちをはじめとする鉄道業界からの熱い支援に感謝」と振り返る。特に、JR西日本グループの西日本電気システムは、協力会社含め総勢71人を約1カ月間派遣。チームを率いた岡本建吉・鉄道技術本部副本部長は「大勢応援に来てくれた阪神大震災の恩返し。こうした復旧作業は、派遣した若手にとって将来につながる経験になる」と語る。
新幹線と同じ広軌を採用している京浜急行電鉄や西日本鉄道は、軌道検測機器をJR東に貸し出した。「お役に立てれば」(両社広報)という鉄道員の心意気は企業の枠を超えて届けられた。「不眠不休で働いた作業員。毎日弁当を調達した総務系の社員。活気づけてくれた応援部隊。おかげで結束が深まった」(鈴木氏)。この一体感が日本の鉄道の安全を形作っていく。
◇WEDGE REPORT 「インフラ復旧 危機対応の物語」
(1) ヤマト運輸
(2) NTTドコモ・NTT東日本
(3) 仙台市ガス局・日本ガス協会
(4) 東北電力
(5) 東日本旅客鉄道
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